ねこおくた!


さんこいちがさんこいちと同じ名前の猫を飼うという実に分かりにくい話。
お得パックにした結果


2025-11-08 07:58:58
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はじめまして

 アズールは、猫である。
 ふわふわ、もふもふ、骨太。
 そして何より高貴で涼やかな面差し。まさに王族が愛したゴージャスな見た目の子猫だった。キトンブルーにまん丸の目、灰色がかったふわふわの毛に一目惚れした人間により――名前の無かったアズールでも、その人間はなんだか自分によく似た髪と目の色だぞ? と思った程度にはよく似ていた――その人間の家に貰われたアズールは、わいわいとどうやら家主らしい人間と、その子分らしいデカい人間二人により、名前を決める会議が猫を真ん中において始められた。
「アズールそっくりだし、猫のアズールでいいじゃん」
「はい、このもちっとしたお腹と良い、ツンとした目鼻立ちと青い目と良い、まさにアズールです」
「……褒めていないだろうお前ら」
 三人の人間の言い合いの結果、猫は「ネコノアズール」と名付けられた。
「よろしくねぇ、猫のアズール」
「愛らしいですねぇ猫のアズールは」
「なー」
 猫は愛らしい物である。
 人間の見た目など良く分からない子猫のネコノアズールは、抱っこをしてくる大きな手の大きな男二人をじーっと見つめ、ゆらゆらと揺れる色の濃い前髪をしょりしょりと肉球で挟んで舐め始めた。
「は、あ……あ、どうしましょうぼくの髪を舐めて……フロイド、アズール⁉」
「いや落ち着けってジェイド」
「ふ、ふふふ。普段の落ち着き払った顔が台無しですねぇジェイド」
 家主の男はネコノアズールと似ている名前のアズールというらしい。そちらに顔を向けてなーと鳴くと、手を伸ばしてよしよしと抱き上げてきた。目に何か付けているので肉球でちょいちょいとすると、これはダメですよ、と鼻先をつつかれる。
「さて、猫といえどぼくの家で生活をするのだから、ちゃんとしつけますよ」
 家主の人間はそう言ってきたが、ネコノアズールは何しろ賢く高貴である。人間の顎の下にすぽ、と頭を押し込むと、ぐうっと人間が呻いた。
「く、ぬいぐるみといい何と言い、陸ってなんでこうもさわり心地の良い物が多いのでしょう……」
「ちょっとその毛玉さ、気安すぎじゃね?」
「そうですね、しかしこう、アズールと猫のアズールが触れ合ってるのは何というか……」
 いいですね、とぽそっと呟いた片割れに、もう片方がまあそうだけど、としばらく一人と一匹を見つめて頷く。
「まあいいや。じゃあオレ達フードと、えーっとあと他のこの辺物買い足してくる」
「ええ、お願いします。僕はまず彼にトイレの場所を躾けないと」
「彼、なんですか?」
「彼、でしょう?」
「なー」
思わず身体をひっくり返し、お尻をチェックした家主は少し首を傾げながらも判定した。
「雄ですね」

猫は増えるの法則

 ネコノアズール、略してアズールは、困惑していた。
 ちら、と後ろに立つ家主の人間のアズールの方に目を向けると、こちらも困惑して腕を組んだままじっと目を合わせてきた。
「んなぁ」
「にゃん」
 可愛い鳴き声だが、子猫のアズールの大きさよりも明らかに大きい。若干及び腰になり、シャーシャーと威嚇しながら、アズールはずるずると器用にバックしながら家主の足下まで来ると、ガシガシと木に登る如く、足を登って身体に張りついた。
「痛い、痛い」
 爪が刺さってますよ猫アズ、と抱えてやった家主の脇に頭をすぽっと押し込み、アズールは怒りの尻尾振りで最悪の気分を表現した。
「……いや、ほんとになんですかその猫。僕はお前達にフードと猫砂の買い足しをお願いしただけで、猫を買い足せ、なんて一言も言っていませんが?」
「買い足しじゃなくてー。えーっと譲渡会。なんかぁ、ジェイドと俺によく似てたから」
「かなりの暴れん坊だったとかで、二匹一緒で無いと具合を悪くするし、一緒だと悪さするし、でどこももらい手付かなかったらしく、このままだと……と言われまして」
「……性格までお前達に似てないか? ぼくの猫は繊細なんですよ。見なさいこの怯えっぷりを」
「そういえば、昔からアズールは知らない人魚には威嚇して凄かったですよね」
「蛸壺からあっちいけって言ってたのそっくりだったよねぇさっきの猫のアズールの動き」
「……どうして猫から僕の話になる?」
「とにかく、猫たちはマニュアル通り、籠に入れた状態ですから猫のアズールも慣れるはずです」
 そう言って、アズールの脇に頭をくっつけている猫を引っ張り剥がし、ジェイドがそっと二匹の猫が入っているケージの前に置いた。アズールは、ふわふわの毛を更にぶわわっと逆立て、大きな猫を見上げて身体を斜めにして威嚇する。
「にゃーん」
「なうなーう」
 ゴロゴロと身体をぺたりと低くして、どこか家主の友人達と似ている猫たちは、媚びるような鳴き声を上げた。
「ぼくの猫、苛められないでしょうね」
「保護者みてーな事言い出したんだけどこのタコちゃん」
「その場合は可哀想ですがトライアル中止ですね……」
 ハラハラ見守る人間をよそに、猫たちはふんふんと鼻を寄せてちょんとお互いに挨拶をし始めた。
「ねえねえ、この家の猫?」
「そうだけど、何」
 ケージの中から手を出して、ちょいちょいと双子の猫の一匹が、猫のアズールに手を伸ばした。
「いっしょにあそぼー」
「やだ。ぼくの家だもん。お前達なんか知らない」
 あっち行け、としゃーっと小さい身体でステップを踏むと、何故かデカい二匹の猫はにゃーんと更に媚びを売るようにアズールに声をかける。
「なんでぇ?」
「僕達、まだ何もしてませんよ?」
「いーや、お前達みたいなのはぜーったい僕みたいな可愛い猫を苛めるに決まってます」
 ぷん、と尻尾をばふばふと揺らし、怒りを露わにする子猫のアズールに、大きいが(一応)子猫の双子はしょんぼりと尻尾をうなだれさせた。
「そんなぁ」
「僕達、仲良くなりたいだけなのに」
「……信用出来る要素がないのだが。さっきの人間の会話だって僕はちゃんと聞いていましたよ」
 ぶん、と尻尾を振り、つんと首を振るアズールに、双子の猫はぺた、とケージの中でなるべく身体を小さくして
「えー……じゃあどうしたら信用する?」
「僕達精一杯努力しますよ」
「……逆になんでそんなに頑張るのかわからない……」
 なぜ、と尻尾の先をくた、とさせたアズールに、双子の猫はそりゃあ、とお互いを見合わせて尻尾をぴたぴたと床に叩くように振る。
 どうやら落ち着いたらしい、と三匹の様子を眺めていたジェイドとフロイドは、そろりと近づいてケージの扉を開けてみた。
「どう、でしょう。ネコのジェイドとフロイドは」
「おい、その路線なのか? それでいいのか?」
「だってぇ、ほら、この頭の所に一本ラインが入ってるの、こっちはジェイドっぽいじゃんん、で、こっちはオレそっくり!」
 ちゃんと左右対称なんだけど! とつぶらな瞳の猫を両手に抱えたフロイドの言葉に、アズールは確かに、と思わず頷いた。
「太々しさまでよく似てますね……」
「にゃーん」
 ぺろん、とアズールの鼻先を舐め、猫のフロイドは褒められたと思ったのか一声鳴く。
 二匹を床に下ろし、様子を見ていると、怯えていたアズールは、まるで自分は別に気にしませんが? という様子で足を揃えて座り直し、尻尾をふわりと足に巻き付けた。
 にゃーん、にゃーんとジェイド(仮)とフロイド(仮)がお腹を見せてアズールの前にどたーんと転がると、アズールは尻尾でパタパタと二匹の頭を撫でて、よいしょと香箱座りになった。
「お、おお?」
「これはいけたのでは?」
「アズールの毛、めっちゃ毛繕いし始めたねぇ」
 三人が眺めていると、小柄なアズールの両脇に双子猫が寄り添い、アズールの顔をぺろんぺろんと舐め始めた。
「……なんか、随分執拗じゃないです? 良いんですあれ……」
「顔が両方からベロベロやられて毛の流れとかなんか変わってるねぇ」
「愛情深いですね」
 様子を眺めていた人間三人は、やがて双子猫の片方が、子猫のアズールの上にのしかかって首元を押さえたのを、あれ? と眉をひそめて見つめていた。
「ぎゃああああ⁉」
 人間のような悲鳴を上げて噛みつき、家主の足を一気に駆け上って逃げるアズールに、眺めていたジェイドは飼育ガイドを広げた。
「……やっぱりトライアル中止では?」
「いや、どうやらメスと勘違いして交尾しようとしたみたいですね」
「交尾……」
「はい、交尾」
「まあ猫のアズール、お尻の部分毛でふかふかだから分からない、か?」
 そう言うものだろうか、と眉をひそめつつ、こら、と指導をされた双子の猫は、ケージに戻されてしばらく様子を見ることになった。
 ケージの中に入れられた二匹を、猫アズールはよたよたと近づいていき、すん、と匂いを嗅いでみた。
「ごめんってばぁ」
「ついメスだと思って」
「何がメスだ!」
 怒りで尻尾をワイパーの如くぶんぶんと振りながら、アズールは二匹、ジェイドとフロイドにケージ越しに猫パンチを食らわせる。
 反省とばかりに小さくなってうなだれていた二匹はしょんぼりとひげを下に向けたままアズールを見つめ、
「可愛かったんだもん」
「はい、愛らしかったので」
「……まあ、ぼくの愛らしさは確かにメスと見まごうのも仕方ありませんが!」
 ぶん、と今度は得意げに大きく尻尾を振ったアズールは、そういう事なら、と軽やかな足取りでそばのソファに寝転がっていた同居人の双子の一人のお腹の上に飛び乗った。
「にー」
 とびきりの声で鳴いて前足をぐっぐと伸ばして座ると、あの猫と同じようなオッドアイがにへらーと相好を崩して大きな手でアズールを撫でる。
「なあに~?」
トントンと降りてアズールはケージの側まで行き、お行儀良く座ると、フロイドニコニコと機嫌良くケージの扉を開けた。
「んー。良いんだ。猫のアズールは優しいねぇ。タコちゃんもそれくらい分かりやすいと良いのに」
「な?」
「なーんでも」
 ぬるりと外に出てきた双子の猫たちは、アズールに軽く鼻を付けてからアズールの周りをぐるぐると回ってぽてんと腹を出して横になった。
「お……」
 フロイドは、念のためアズールをすぐに引き離せるように眺めていたが、二匹はアズールに寄り添い丸くなり、アズールもどうやらまあ良いかと納得したらしく、二匹の隙間に埋まってふうっと眠り始めた。
「フロイド、どうしました?」
「ねえ見てアズール。これ」
「おやおやおや。これは……可愛らしいですね」
  凄まじいシャッター音が鳴り響き、アズールとフロイドはなんとも言えない顔でジェイドに目を向けた。スマホをほくほくと眺めているジェイドの写真フォルダは一瞬で三匹の猫の写真で埋まっていた。














ごはんと猫
 
 ネコノアズール、もといアズールは猫である。
 同居するのは三人の人間。
 そして二匹の猫も入ってきて、自分の両肉球三つがそれぞれ埋まる、大所帯である。勿論、一番えらいのは……ここは一旦同居の家主にしておこう。
 アズールは何しろ奥ゆかしく賢くふわふわもこもこの可愛い猫である。
 床を優雅に歩けばどこからともなく人間ジェイドが膝を付いてバシャバシャと写真を撮り、棚に登れば人間フロイドが手を伸ばしてよしよしと褒めてくれる。
 ただし、家主のアズールだけはそんなアズールに全く動じない。
「こら」
「うぎゅー」
 お腹がすいたアズールは棚の中に隠してあるはずのご飯を探そうとドアをカリカリと開けようとしていたところをつまみあげられ、抱っこされてそのままソファに放り出された。
「全く! 適正量を食べているのだからこれ以上はいけません。それでなくとも室内オンリーの猫は太りやすいんですよ」
「ぬなー」
 尻尾をぶおん、と振って抗議しても、家主は平然としたものだ。
「良いですか。僕と同じ名前を背負っている以上、肥満は許されません」
「にゃ……」
 ぽかん、とショックを受けたような顔をする猫を、アズールは猫もショックを受けたような顔をするんですね、と半ば感心したように呟いてから、ソファに座り、膝にアズールを乗せて撫で始めた。
「……なー」
「食べたければ運動することですね」
「ふす」
 しょんぼりとソファから降りたアズールは、置かれていた猫用ベッドの上で両足を投げ出して寝ていたフロイドのそばに座り込んだ。
「なー」
「んなんあ」
 寝ぼけた顔のまま、フロイドは顔を上げ、お腹に顔を埋めるアズールのおでこをベロベロとなめ始めた。
 とっとっとっとと軽やかな足音と共に、なんですかなんですか、とジェイドがフロイドとアズールの側に駆け寄ってきて、二匹用のベッドの中にぎゅうぎゅうと入り込み、アズールの背中を舐め始める。
「ジェイド、お前どこに行って……重い重い重い!」
 ぎゃーっと喚くアズールの声に、パタパタと足音がして潰れそうになっていたアズールを、ジェイドの下から引っ張り出した。
「おやおや、猫の僕は随分と猫のアズールのことが好きなんですね」
 ふわふわの毛並みは二匹の執拗な毛繕いでベタベタになり、アズールは憤慨したようにふすっと鼻を鳴らして人間ジェイドの肩によじ登った。
「ああ、なんだかずいぶんな鳴き声がすると思ったら」
 キッチンから顔を出したアズールは、ジェイドの肩の上でしっかりと足を踏ん張って立つふわふわの猫に思わず苦笑いをした。
「いらっしゃい、餌はだめですがスープなら少しだけあげますよ。水分は取らないとだめみたいですしね」
 鶏肉を煮だしたらしいお手製のスープを皿に出され、アズールはご機嫌に左右に尻尾を振ってジェイドの肩から降りて皿に頭を突っ込んでぺちゃぺちゃと舐め始める。
「アズール、子猫の場合、栄養は必要のようですからもう少しあげても良いのでは?」
「適正量を上げていますよ。それに、フードのここに書かれているものをその通りに出すと肥満になりやすいって書いてあったでしょう。適正量は僕達で見なくては」
「ですが」
 スープを皿がピカピカに舐めるまで堪能している猫を見つめ、ジェイドは悲しそうに眉をひそめて小さな子猫の背中を撫でる。
「こんなに痩せて小さいのに……」
「適正体重なのは毎日チェックしてるでしょうに。肥満は飼い主の責任です。今度の定期健診で注意されるなんて、僕はいやですよ」
「なん」
 短く鳴いたアズールに、家主のアズールは良い子のお前は我慢出来ますよねと、とよしよしと頭のふわふわした毛を撫でた。
  

シャンプー戦争

 猫の同居人達にとっての一番の懸案事項は、シャンプーだろう。
 大の男三人が、頭を寄せてブツブツと言いながら、本と動画を頼りに、よしと頷く。
「子猫のシャンプーはかなりの戦いだそうです」
「らしいね」
「彼らの爪、小さくても洒落になりませんね。噛まれたらそれこそ病気の可能性もあるようですし」
「ええ、ですから心してかかりますよ。特にジェイドとフロイドは短毛種ですが、アズールは……この猫の名前の付け方止めません?」
「良いじゃないですか。可愛くて」
「……混乱するだけの気がするんですが……。まあ、取り敢えず今は置いておきましょう。猫のアズールは長毛種という種類ですね。これは換毛期という時期は最低でも一回はシャンプーをしなければいけないようです。子猫のうちに水に慣れさせておかないと、今後もっと大変になるはずです」
「猫のアズール、種族的にでっかくなるらしいしね」
「既に二匹デカいのが居るのにさらに大きくなるのか……」
 でっかいアズール良いよね、と、ぽわ、と呟くフロイドに、いいですよね、とジェイドもうっとりと同意する。
 ――猫の話だよな?
 猫と人間の名前を同じにするのはやはり良くないだろう普通。
 そう思った物の、もはやアズールと呼ばないと尻尾ですら返事をしなくなってしまった猫を思い出してアズールは諦める事にした。床にタオルを引いて、自然乾燥も出来そうな良い天気である。
「よし、ではまずは猫アズです」
「猫ジェイドと猫フロは暴れそうだもんねぇ」
「はあ……」
 先が思いやられると、アズールは灰色のふわふわの猫がどこに行ったかとリビングに入る。
「猫ー、ちょっとこっちにおいで」
 双子の猫の間にすっぽりと埋まって寝ていたアズールは、呼ばれて身体を持ち上げられた状態でゴシゴシと頭を擦り、かすれた声でぎえーと鳴いた。
「偶にダミ声になりますよねお前」
「ぎえ」
 寝ぼけたアズールは家主のアズールに連れて行かれて普段はお水を偶に飲む場所に連れて行かれ、真っ白なたらいの中に置かれた。
「なんですこれ?」
「今から身体を洗いますよ。お前、換毛期であちこちに毛をまき散らしているでしょう?」
 猫の言葉に律儀に言葉を返す家主のアズールは、弱めの水流とぬるめの温度に調整したシャワーを出して、猫のアズールのたらいにお湯を入れ始めた。
「ぎゃああああ」
 肉球に不快な感触があたり、逃げようにもがっしりと押さえられてしまったアズールはぎゃーぎゃーと爪を出して騒ぎ出した。
「落ち着きなさい。身体を洗うだけですよ」
「しぬー! いやー!」
 鳴き声はお風呂場に反響し、外でタオルを持って待機していたジェイドとフロイドは可哀想に、とほろりと涙を流す。
「これ、オレ達があの二匹洗うときもこんな感じなの……?」
「まあ、最後は魔法使うしか無いですねー」
 などと、遠い目をしていた二人の足下に、アズールの悲鳴で飛び起きた猫のジェイドとフロイドがドタドタと走り寄り、お風呂場のドアの向こうにむかってガリガリと必死に声を上げた。
「なあああ⁉」
「んあああ⁉」
 中で身体を洗われていたアズールはふわふわの毛が水でしっとりぺったりと貧相な見た目になり、弱々しく家主のアズールを見上げた。
「そんな顔しても終わるまで駄目です」
「ぎい」
「最近、可愛く鳴こうって気概も無くなってませんかお前」
 アズールの腕にしがみついた猫はぱしゃぱしゃとお湯を掛けられ、泡だらけになりながら恨みがましい目でアズールを見上げ、ぎゃーと鳴く。
 ドアの向こうでは猫のジェイドとフロイドの影がびょんびょんと跳ねながら猫のアズールを呼び、オロオロとステップを踏んでいるのが見えていた。
「……次からはプロに任せるかな……」
 泡をお湯で落とし、身体をバスタオルで拭いてやると、アズールはしびびびびびと身体を振り、ちょこちょこと前足と後ろ足の水気を歩く度にしびびびっと払う。
「……んふふ」
 猫はプライドの高い生き物ですから、笑ってはいけません。
 などとマニュアルにあった気もするが、どうしてもその動きは面白く、アズールは手足もタオルで拭いてやってから、ドアを開けた。
「んな……んな……」
 よたよた、と酷い目に遭わされたという顔でタオルの上を歩くアズールに、猫のジェイドとフロイドが慌てて駆け寄りべろべろと毛繕いをし始める。
「はいはい、お前達もこっちねー」
「に?」
「ん?」
 入れ替わってお風呂場に消えていく二匹を見送り、アズールは家主に抱えられて日差しがほかほかと当たる窓辺に連れて来られてた。
 お風呂場の向こうからは二匹分の悲痛な叫びが聞こえたが、アズールはそれどころではない。
 ドライヤーの音は音がした瞬間に威嚇したので使えなかったため、吸水タオルで何度も身体をゴシゴシと擦られ、アズールも必死に毛を乾かそうと身体を舐め始める。
「さて、ドライヤーがだめならこれなら良いですかね」
 ふわっと風が吹き始め、水気を含んだ毛が徐々に乾いていく。
「んなー」
「出来れば音になれて欲しいですが仕方ないですね」
 身体を洗われたことで余分な抜け毛などが抜け、シャンプーの成分による物か、以前よりもふわふわつやつやの毛並みになった猫に、家主のアズールは鏡を出してきて見せてやる。
「どうです。良いシャンプーにしたんですよ」
 ネコノアズールは使い魔にもなれそうと太鼓判を押された賢い猫である。
 鏡に映っているのが自分だと勿論気付き、(ちょっとだけ他猫だと思って威嚇しそうになったが)、両前足をきちっと揃えて尻尾を前に巻き付けてキリッと鏡の前に立った。
「良いですね。とても威厳がありますよ」
「なん」
 胸を張るようにツンと済ました猫に、家主はテーブルに置いていた物を手に取った。
「外に出ることは無いと思いますが、念のため付けておきましょうか。ぼくの仕事着のリボンタイと同じものにしました」
 アズールは、首元に何か付けられて、カリカリと後ろ足で取ろうとしてみたが、鏡を見てぴたりと動きを止めた。
「ああ、似合っていますね。あまり邪魔なら取りますがどうです」
「なん」
 紫のリボンと襟のようなものがついた首輪は威厳ある猫である自分にぴったりのような気がして、アズールはシャンプーでよりふわふわもこもこになった尻尾を振って家主の身体に身体をすり寄せた。
「毛は付けないでくださいよ。スーツに灰色の毛は目立つんですから」
「んなー」
 そんな無茶なことを言われても困ります。
 じとっとした目をする猫に、家主のアズールは鼻先をこしょこしょと撫でながらのんびりと一人と一匹の日向ぼっこを楽しんでいた。

「ああああああ!」
「ぎゃああああ!」

 お風呂場の方から聞こえる大音量の猫の悲鳴といってーと叫ぶフロイドの声はなるべく聞かないようにしようと、人間と猫のアズールは目配せをするように窓の方を眺めていた。
 
 
 















寝床

 子猫も三ヶ月でそれなりの大きさになる。
 すくすくと成長し、それでも何故か両脇に寄り添いくっついている双子の猫よりは小さい事を気にしつつ、ネコノアズールはますますもふもふ、ふわふわ、もちもちになっていた。
「それじゃあ、僕達は仕事に行ってきますよ」
 家主の声に尻尾で答えると、三人の人間はバタバタと出て行く。
 ドアが閉まり、静かになるとアズールは高いタワーの上で丸まりふうっと小さくなる。
「アズール」
「そこ落ちないです?」
 軽やかにタワーを登ってきたジェイドとフロイドは、タワーの一番上で眠るアズールを覗き込む。
「うるさいですよ。僕が落ちるわけ無いでしょう」
 尻尾をゆらゆらさせて板の上で香箱になるとアズールはむすっと下に立っているジェイドとフロイドを見下ろした。短毛の二匹は耳が少しだけ大きく、くりっとした目のそばに左右対称に一本ラインが入っている。短毛だからか知らないが、殆ど毛繕いもしなくても手足で軽くぺっぺとやっておけば良いらしい。なので、以前のシャンプーでもそんなにやらなくて良いと結論づけられ、アズールだけ一ヶ月に一度の頻度で洗われる事になった。
 酷い差別である。
 ふわふわの尻尾をしびびびっと揺らすと、ジェイドとフロイドの顔に毛ばたきのような尻尾が当たり、二匹はすりすりとアズールの尻尾にすり寄る。
「でもさあアズール、この間スツールの上で寝てたの忘れて寝返り打って下に落ちてたじゃん」
「んふふ」
 思い出し笑いをするジェイドの頭を肉球で叩くと、痛いです、とジェイドはニコニコしたままアズールを見上げた。
「だって、あの時のアズール、落ちたのにびっくりして固まっていたじゃないですか」
「そりゃ、お前だっていきなり背中ぶつけたらびっくりするに決まっているでしょうが」
 不機嫌に尻尾をぶおん、と振るアズールに、ジェイドは僕はそもそもそんな危険なところで寝ないので、と首を傾げる。
「そもそも、なんでベッドで寝ないのさ」
 うずうずと目の前で魅惑的に動くもふもふ尻尾を見ながらフロイドは問いかけるが、アズールは更にぶんぶんと苛立たしげに尻尾を振り
「良いでしょう僕がどこで寝たって」
 とつれない。
「えー……」
 ペロン、とアズールのふわふわの尻尾を舐めて両前足で抱えたフロイドは、そのままべろべろと舐め始める。
「ちょっと、くすぐったいんですけど」
「だって、目の前にあってつい」
 しびびび、とフロイドの前足から尻尾を引っ張り出したアズールは自分のそばにくるんと丸めて、ふす、と鼻を鳴らして足を揃えた。
「ねえねえアズール」
「一緒にお昼寝しましょうよ」
 なうなうにゃんにゃんと二匹の合唱を無視して目を閉じたアズールは、徐々にかくんと頭が落ち、香箱が崩れて板の上にぐてっと伸びてきた。
 やがてぐるりと身体の向きを変えてひっくり返った瞬間。
 ずるん、と身体が滑って慌ててアズールは爪でもってタワーの布素材に引っかかった。
「ああもうだから言ったじゃん!」
「アズール、後ろ足もちゃんと引っかけてください」
 ウロウロとジェイドとフロイドが言う中、アズールはもたもたあわあわと後ろ足をばたつかせ、つるんとそのまま下に落下した。
 とん、と床に着地したアズールは、そのままばばばっと音がするほどの速さでリビングを飛び出し、どこかに走り去っていった。
「アズール」
「アズール」
 ジェイドとフロイドもタワーから降りて廊下を飛び出したアズールを追いかけてにゃおにゃお鳴いてみるが、返事は無い。あちこち頭を突っ込んで探すと、家主のベッドの上に置かれた服の中に頭を突っ込んでいるアズールをようやっと見付けた。
 二匹はにゃーっと一鳴きして、くるまっていたアズールのそばに寄ると、はみ出た身体をグルーミングし始めた。
「なんです?」
 もぞ、と頭を出したアズールの顔をべろーんと顔が上に引っ張られるくらい力強くジェイドが舐める。
「怪我は無いですか」
「別に何も無いですよ」
 どうやらタワーから落ちたことは無かったことになっているらしい。
「やっぱ高いところで寝るより広いところで寝た方が良いよぉ」
「広いところで寝てもお前達がいるからなんか狭いんですけど」
「一人で寝るのは寂しいものですよ」
「そうそう、オレとジェイド、離れて貰われたときとか大変だったんだから」
 フロイドの毛繕いは毛の流れをあまり考えない適当さで、アズールはごしごしと前足で向きを直しながら、むうっと二匹の間に挟まれて顎をジェイドのお腹に乗せる。
 うとうとと、三匹は団子状態になって家主のシャツの上で丸まり、そのままぷうぷうと寝始める。
 崩れた川の字で寝ている三匹を、帰ってきた家主のアズールが見付け、毛だらけになったなあとしょっぱい顔をする横で、凄まじい勢いでカメラのシャッターを切るジェイドといっしょに寝ようとベッドに寝転ぼうとするフロイドの攻防が繰り広げられるのは、そこから数時間後の後のことだった。
 









猫医者

 猫のアズールが外に出たのは、多分これが初めてだろう。
「なーなー」
「はいはい、あとちょっとですよ」
 キャリーに入れられ、知らない場所に連れて来られたアズールは、家主の顔を見上げてキャリーの中から明らかに不満という声と困惑が混ざった声で鳴いていた。
「ばう」
「あう!」
 ロビーに響く声にアズールはぎゃっと声を上げてブルブルとキャリーの端に移動して丸まり、カタカタと震え始めた。小さな犬の声はショップにいたときに聞いていたが、今の音はかなりの大物である。
 その犬の声がどうやらドアの向こうらしいが、部屋の向こうから「きゃうーんぎゃあああ」
 と、悲痛な声まで響いてくる。
「なうなうなう……」
 家主に酷い目に遭わされるに違いない。何故だろう。こっそりジェイドとフロイドの分のご飯を食べてしまったせいだろうか。
 この間キラキラしている家主のボタンを口でちぎったせいだろうか。
 それとも家主のお風呂から上がったばかりの身体にべったりと毛を付けて転がり回ったからだろうか。
 ……結構色々やっていたかもしれない。
 いやでもそれでこの僕を捨てるなんてあるだろうか。
 分からない。ジェイドとフロイドの話だと人間というのは簡単にいらないからと捨てることも普通だと言っていた。
「にゃう……」
 ぷるぷると考えれば考えるほど恐ろしくなり、尻尾の先まで毛がくったりとしてしまったアズールは、しくしくと頭をキャリーの壁にくっつけて惨めさと恐怖で小さくなっていた。このまま消えてしまえたら、と思っていると。
「アーシェングロットさーんのアズールちゃん、どうぞー」
「はい」
 やはり慣れない、とブツブツと言いながら家主のアズールは立ち上がってキャリーを持ってどこかの部屋に入っていった。消毒液のする部屋の匂いに、アズールは小さくなっていると、キャリーの蓋が開いてにゅっと家主の手がアズールを抱えた。
「お願いします」
「はーい、アズール……あれ、ご主人と同じ名前?」
「あ、あー、済みません。家人が勝手にそう呼んでしまって」
「まあ大丈夫ですよ。アーシェングロットさん、確か魔法士ですよね」
「ええ、動物言語学もそれなりには」
「ならまあ何とかなるでしょう。じゃあ、まずは体重から量りましょうか」
 猫のアズールは家主の手の中でもごもごと潜り込もうとして動き回っていたが、
「アズ、ほら、体重を量りますからしがみつかないでちゃんと台に乗りなさい」
 と、言われてそろそろと大きなテーブルの上に足を伸ばした。
 部屋の中には人間が他にも二人居て、一人は真っ白な服を着て、もう一人は女の人らしかった。
「可愛いですねー」
 アシスタントの声に、アズールはそうでしょうとも、と反応して顔を上げた。
「えーっと、二キロですか……うん、良い感じですね」
 褒められたアズールは、どうやら捨てられるわけでは無いらしい、と気付いて自慢のふわふわの尻尾をパタパタと振って、にゃん、と自分の可愛さをアピールし始めた。
「お前、さっきまであんなにビクビクしていたのに……」
「はは、肝が据わって良いですね。体温も測りますので、ちょっと押さえてて」
「はい」
 アズールは、アシスタントに良い子ですねーと褒められ押さえられて、尻尾をパタパタと振りながら、香箱に座り直す。そこに体温計を尻に突っ込まれ、えっという顔で家主の方に目を向けた。
「僕を見るな」
 何か思うところがあるのか、家主のアズールは視線をすうっと逸らし、体温計がぴぴっと音を立てる。
「平熱ですね。毛艶も良いですし、目やにも無い。実に健康的で良いですね。じゃあ予防接種。四種混合ですね」
「はい、お願いします。あの、あと二匹居るんですけど、一応こっちは既にワクチン接種受けてるんですが、連れてきた方が良いですか」
「特に問題が無いなら良いですよ。二匹はこの子と兄弟です?」
「いえ、二匹の兄弟で、この子はショップで買った感じですね」
「ああなるほどなるほど。安心できる保護施設からの譲渡なら確実でしょうしFIVも掛かってないんですよね」
「ええ、キャリアでも無いです」
「なら、問題ないでしょう。何か気になることがあれば相談してください」
「……取り敢えず、シャムっぽいのにやたらにデカいんですが……」
「うーん、突然変異かな……。偶にいるんですよね」
「そうですか……」
 がさごそと何やら細い袋を取りだした医者は、ニコニコと猫のアズールの方に目を向けた。
 これから何をされるかまるで分かっていない猫のアズールは、良い子良い子と人間にちやほやされ、ご機嫌で尻尾を振っていた。
「はい、じゃあ後ろ足に打ちますね。ワクチン接種後は安静に家の中で様子を見てください。それ以外はいつも通りで大丈夫です」
「分かりました」
 ぶす、と小柄な猫からすればそれなりの太さに見える注射針が刺さり、猫のアズールはぎゃっと短い悲鳴を上げた。
「よしよしえらいえらい」
 呆然として台の上で凍り付いたアズールに、家主のアズールは終わりましたよーという声と共に頭を下げて、キャリーの中にアズールを戻した。
 家に戻ったアズールは、心配していたジェイドとフロイドに迎えられ、キャリーから解放された。
「……にゃ」
 足を怪我したようによたよたと歩く様子に、三人は後ろからその様子を見つめていた。
「どうだった?」
「大人しかったですよ」
「猫を被っていた、とかですか」
「何とでも言いなさい。あの二匹は異常が無いなら今回は連れて来なくても良いそうなので」
「じゃあ本当にアズールだけ注射されちゃったんだねえ」
「可哀想ですから何かおやつとかでも上げたらどうです?」
「今日だけだし良いじゃん」
「……まあ、そうですね」
 アズールは棚の中を探して以前ジェイドが買っていた小さなパッケージを一つ開け、猫のアズールに声をかけた。
「ほら、頑張ったから今日は特別ですよ」
 お皿に出されたその謎のジェル状の物を、アズールはすんすんと匂いを嗅いで舐めてから、目の色を変えてぺちゃぺちゃと食べ始めた。
「す、凄い食いつきですね」
「何あげたの?」
「ジェイドが以前買っておいたやつなんですが」
「ああ、それ、猫にとても喜ばれると書いてあったんです。チュール」
「チュール……」

 なくなってもおかわりを要求するようになったので後日チュール禁止令が出るようになる。
 

























運動神経と猫

「猫のアズールってさ」
 膝の上でいつものように灰色の毛玉をブラッシングをしていたフロイドは、背中のふわふわな毛を整えながらぽつりと呟く。
「……なんか、鈍くさいよね」
 その言葉に、アズールは黙って顔を上げて、そうですか? と猫の方を見下ろした。猫は――良い気分なのか尻尾を振って大の字で伸びている。あまりにも野生が無い。
「……こら、猫。そんなだらしない格好でいてどうするんです。野生を捨てて良いとは言っていませんよ」
「なー……?」
 お腹をもふもふとアズールに撫でられながら、猫のアズールはざらつく舌でアズールを舐め、まあまあ良いでは無いかと言うようにころりとフロイドの膝から転がった。
「はあ、これで野生で生きていけるのでしょうか」
「まあ外に出さないから良いじゃん」
 お腹の毛を自分で整えようと足を広げてペロペロと毛繕いをし始めた猫のアズールは、そのままバランスを崩してごろんと後ろに転がりバタバタと慌てて起き上がる。
「……ど、鈍くさい……」
「この間も棚と棚の間をジャンプしようとしていたんですけど、何度も距離を測って首をぐいぐい動かしていたのですが……失敗して床に着地していたんですよねぇ」
 見ます? と部屋から出て来たジェイドがスマホをアズールとフロイドに見せる。まさに少しだけ低めの棚の端に立って、じっと首を上下に振りながら何度もぐっと前に出て、またもどってを繰り返し、最終的にジャンプして床に降り立った猫のアズールに、フロイドはゲラゲラと笑いながらソファに転がる。
「お前、これ撮ってて微動だにしてないんですけど、助けてやらなかったんです?」
「ええ、だって、見ていたのに気付くとどこかの誰かみたいにツンとすまして止めてしまうので。ああ、昨日はそういえば上手く行ってましたよ。何度か練習していたみたいですね」
 流石似ていますね、とジェイドは猫のアズールを抱っこしてチュッチュと毛の中に顔を埋めて褒める。アズールはぎやああと、明らかに嫌そうな声と顔でジェイドの頭を肉球で押さえ、ぐるりと身体を捻れさせて床に降り立つ。
「……なんか、嫌がられてません?」
「ジェイドの愛情表現拗くれてるからなぁ」
「まさか、きっと偶々そう言う気分じゃ無かっただけですよ」
 ねえアズール、とニコニコと微笑んだジェイドに、しゃーっと威嚇音が返される。
「はあ、ああいう所も昔のアズールみたいでいいですよね」
「そのうち本当に引っかかれるぞ……」
 何か悦に入っているジェイドにアズールはため息をついて、棚の中を漁って紐にタコが結わえてあるおもちゃを取りだした。
 制作者のフロイド曰く、猫たちが抜群に遊んでくれるらしい。どうしてタコなのかは何度聞いても納得出来ない。
「猫、お前はそんな事で馬鹿にされて腹が立たないのですか」
「な」
 猫のアズールはアズールを見上げて前足を揃えてから、厳かにアズールの足にちょん、と前足を乗せた。
「そうでしょう。なら、分かりますね。元々お前は陸で生活するための身体があるのですから、咄嗟に動かせるように特訓です」
「なう」
 リビングの広い場所で、一人と一匹はおもちゃを使ってぴょんぴょん飛び跳ね動き回り、身体を鍛え始めた。
 カーペットがバリバリ音がするほど走り回り飛び跳ね、タコのおもちゃをバシバシと掴もうとする子猫を動画撮影しながら、ジェイドは良いですねぇとうっとりと眺める。
「タコのおもちゃと言うのがまた良いですね」
「でしょー。猫のジェイドとフロがすげー食いつくんだよねー」
「そういえば、あの二匹はどこに」
「あー?」
 どこだろう、とやけに静かな二匹のことを思い出した二人は、どたどたと二階で足音がして、階段をバタバタと下りてくる音に、ああ、と頷いた。なるほど二階で寝ていたのか。
 そんな悠長なことを考えていた二人は、目をキラキラさせて
「なになに面白い事してそう!」
「僕達も混ぜてください!」
 と言っているだろうな、自分達ならそう言ってるな、という猫の顔を見ながら、ダイナミックに猫のアズールがおもちゃで遊んでいるところに乱入した。
「な」
「お、お前達一体どこかぎゃああああ」
 遊んで遊んで! とタコのおもちゃに飛びつき、ついでにアズールにも飛びついてぴょんぴょん跳ね回る猫のジェイドとフロイドに、人間の力でも翻弄されてアズールはこらまてちょっと待て! と身体にのしかかったり飛びついてくる二匹に引き倒される。
「ちょ、見てないで助けろ!」
「いやー、すげーね猫ジェイド」
「いやいや、凄いのは猫フロイドですよ。見てくださいあのダイナミックな大回転ひねり入り着地。これは十点満点では?」
「それ言うならさっきの猫ジェイド、タコのおもちゃ咥えた所なんてツイストしてたじゃん」
 二匹の子猫としても大きな猫たちがアズールに大ジャンプしてじゃれつく様に、猫のアズールはどうすれば良いのかと呆然と座り込み、取り敢えずと転がっているアズールのお腹の上に座って、香箱になった。
「いや、おい、なんだこれ」
「愛されていますね」
「良い感じの写真撮れたねぇ」
 ニコニコとしているジェイドとフロイドの足下で、転がったままアズールは猫三匹の重さにぐえーと呻き、猫たちは機嫌良くアズールの上でぐうぐうと寝始めていた。

 猫のアズールの鈍くささはあまり変化無かった模様。



  
名前

「アズールー」
 フロイドの声に、キッチンで作業をしていたアズールは顔を上げた。
「なんです?」
「ああいたー。あのさぁ」
 買い置きの洗剤がどこかという話をし始めた二人のそばで、猫のアズールは尻尾をゆらゆらさせながら、窓辺ですうすうと寝ていた。
「……ん、わかったー」
 ありがとう、と去って行ったフロイドに、アズールはやれやれと再びキッチンで作業をし始め、ちらりと猫の様子に目を向けた。流れてくる音楽はラジオからのもので、今は丁度旬だというテンポの良い曲が流れていた。
 すよ、と気のせいかバックのドラムの音に合わせるように、猫のアズールの尻尾が左右に揺れる。
 作業をしているアズールは、姿は見えないが猫のジェイドとフロイドもあちこちそれぞれ気に入った場所で寝ているから静かで良いと、皮を剥いてジャガイモの下ごしらえをしながら音楽を聴いていた。
「……アズール、ちょっと良いですか。この案件ですけど」
「ええ」
 どうやら仕事の調査をしていたらしいジェイドが部屋に入ってきて資料を見せながらアズールに問いかける。
 ちらりとジェイドは猫のアズールの方に目をやり、アズールの指示を聞いて頷く。
「分かりました。では」
 部屋から出る前に、猫の方に近づいて両耳の間をカリカリと撫でてから戻っていき、猫のアズールは寝ぼけた顔を上げてから、ふうっと再び顎を伸ばして寝始めた。

 作業を終えたアズールは、少し時間が出来たなとソファに座って、ふうっと一息入れた。のそのそと暇になった家主を察したのか、窓辺で寝ていた猫のアズールがぽてぽてと歩いてきて、アズールの膝をひとしきり前足でぐに、ぐに、と揉んでからくるりとその場で回って腰を下ろして寝始める。
「一回転する理由はなんです?」
「なー」
 撫でられながら猫のアズールに問いかけても、動物言語でも相槌しか返ってこない猫のアズールに、やれやれとソファに身を沈める。
「あ、そうだ。ジェイド!」
 ジェイドー! と開いたリビングのドアから呼びかけると、とっとっとっと、と軽やかな足音が響いてきた。やけに軽い。
「なうなうなう」
 まるで呼びましたか何かご用ですか? とでも言うように尻尾をピンと立てて、猫の方のジェイドがアズールの側に近づいてきた。
「……いえ、お前では無く人間の方を呼んだんですが」
「なう」
 すまし顔で、猫のジェイドはきちっとリボンタイの首輪が映えるように座り直し、アズールの足下に立った。
「……はあ」
 ため息をついていると、バタバタと今度は重さのある音がして、リビングにジェイドが入ってきた。彼は猫のジェイドがお行儀良くアズールの足下にいるのに気付くと、抱えてさりげなくリビングの廊下に放り出し、
「どうかしましたか、アズール」
 と呼びかけた。猫のジェイドは何か不満げにぎゃああっと鳴いていたが、ジェイドは気にすること無くニコニコと立っていた。

 それから少し経ち、別のタイミングでアズールはフロイドの名前を呼んで廊下に顔を出した。
「フロイド! ちょっと良いですか」
「なあああん!」
 とびきりの甘えた鳴き声が響き、スキップでもしそうな勢いでとったとったと猫のフロイドがどこからかアズールのそばに寄ってきた。その後ろを、お前じゃねー! とフロイドがバタバタと走ってきて、猫を抱えてアズールににこりと引きつった笑顔を向けた。
「なあに?」
「なああああ!」
 動物言語を使わなくても分かる、明らかな不満な声をもぐもぐと手で押さえて、フロイドはニコーと微笑んだ。

「アズール」
「はい」
 リビングにいたアズールに呼びかけたジェイドは、うーんと首を傾げて部屋の端で寝ている猫のアズールの方に目を向けた。
「僕とフロイドを呼ぶと、猫たちも反応するじゃないですか」
「だから同じ名前は止めろって」
「まあそれはいいとして、なんかさ、同じ理由ならアズールで呼んでも猫が反応してもいい筈じゃん?」
 フロイドの指摘に、アズールはそう言えばとチラリと子猫の方に目を向けた。
「さっきもですが、アズールと呼んでも返事をしなかったじゃないですか。別の時とかもちょいちょい観察していたのですが、彼はアズールと呼ばれても返事や、反応をしないんですよね」
「名前を覚えていない、って感じでも無いしねぇ」
 不思議、と首を傾げるジェイドとフロイドに、アズールもそういえばそうですね、と釣られて首を傾げた。
「アズールが、普段、ねこって呼んでるからじゃね?」
「紛らわしいんだからしょうが無いじゃないですか」
文句を言うアズールの脇で、ジェイドは少し考えてから、試しに、と猫の方に目を向けた。
「……猫のアズール、ちょっと良いですか」
 ぽわん、と尻尾が反応し、のそりと猫のアズールが顔を上げ、なー? と首を傾げた。
「……あなた、もしかして」
 アズールも思わず立ち上がり、寝起きの猫のそばに寄って、キトンブルーのアズールの目を見つめた。
「……ねこの」
「なー」
 返事をした猫のアズールに、ジェイドはやはり、としたり顔で頷いた。
「何?」
「多分ですけど、僕達があんまり猫のアズール、と呼ぶせいで、彼の中では名前が「ねこのあずーる」となっているのでは」
「あー……。なるほど」
「なん」
 呼んだ? と猫のアズールは尻尾を揺らして三人を見上げたが、三人は、猫の頭を撫でて寝てて良いですよと椅子に座り直した。
「……いや、だから止めとけって」
「でも良いじゃないですか。一応個体識別できていますし」
「ねえ、でもなんでおれたちの名前の猫達はそうならなかったんだろうねぇ」
「大方、自分が正しいと思ってるんじゃないですか。性格そっくりですし」
 鼻で笑ったアズールの足下で、猫のジェイドとフロイドは欠伸をしてくしゅんとくしゃみをしていた。
















一人の夜

 家に帰ってきた家主の音に、三匹は顔を上げた。
 いつものように軽やかに玄関先に向かうと、そこには一人だけコートを掛けているアズールが立っていた。
「なあ?」
 不思議そうに猫のアズールが鳴くと、アズールは猫の頭をよしよしと撫でてから
「ジェイドとフロイドは出張で明日の昼頃の帰宅です。今日は僕一人ですよ」
「なうなう」
「にゃー」
 猫のジェイドとフロイドがぴょんぴょんと飛び跳ね周り、アズールの足下で動き回る。その二匹の頭も撫でてやり、アズールはいつものように猫たちにご飯の準備をしてから、自分の食事の支度を始めた。
 三人で住むという事で買った家はそれなりに広く、それでも大男二人がうろついていると狭く感じた物だった。
 ダイニングで一人分の食事をならべて食べ始めたアズールの前に、三匹が食事を終えてぬるりと普段ジェイドとフロイドが座っている椅子の上に立ち、顔を覗かせた。教育の賜物か、食事が載っているときにはテーブルに上がらない彼らは、じーっとアズールを見つめて行儀良く座っていた。
「なんですか、付き合っているつもりですか」
 猫に気を遣われるとは、と渋い顔をするアズールに、猫たちは首を傾げてから顎をテーブルの上に載せてじーっと見つめていた。
 仕方の無い奴らだと、苦笑いを浮かべてから食事を始めると、猫たちはごろごろぐるぐる鳴きながら椅子の上で自分の身体のグルーミングを始めた。
「ふう」
 食べ終えて片付けを始めると、猫も眠る時間が近づいてきたと気付いたのか、ウロウロとアズールの足下をうろつき、シャワーを浴びに行く道中もどたどたと付いて回る。
 ――まったく、全然静かじゃ無いなこれは
 シャワールームのドアの向こうで三つの影がお行儀良く並んでいるのが見えるのはなんとも言いがたい面白さで、写真でも撮れれば良かったなとアズールは鼻歌を歌いながらシャワーを浴び、ドアを開けた。
 水が滴る髪にドライヤーを掛けようとすると、猫のジェイドとフロイドは、なおなお亡骸髪の毛先に付いている水滴をべろべろ舐めようと身体をにゅっと伸ばして来て、慌ててアズールはこら! と二匹を外に放り出した。
「全く、あいつらと同じで油断も隙もないな」
「なう」
 そうなんですよねぇ、と猫のアズールはしたり顔で厳かに頷き、ぷるりと首を振ってドライヤーを使う家主を観察し、髪を乾かし終えたアズールが外に出ると、廊下で待っていた二匹と共に、パレードのようにとったとったとアズールの寝室へと入っていった。
 いつもならば猫はリビングに置いてくるのだが、アズールは今日はまあ良いかと、ベッドに転がった。
 
「どうですか、一人の夜は」
 タイミングを見計らったようにスマホが鳴り、取った電話の向こうから開口一番そんな言葉が聞こえてくる。明らかに、面白がっている声に、アズールは快適ですよ、と答える。その奥で猫が三匹ぎゃーと返事をするように鳴き、ジェイドはおや、と不思議そうな声をあげた。
「今日は猫も一緒ですか」
「ええ、フロイドはどうしてます?」
「いるよー。もう疲れたんだけどマジで! もうちょっとオレらに優しくしてくれても良いと思うんだけど」
「なおなおなお」
 猫のフロイドがアズールの手元にすり寄り、会話を遮るように大音量で鳴くと、うるせ! と電話の向こうのフロイドが叫ぶ。
「ええ、もしかして今日猫と一緒に寝るの? オレ達浮気されてる?」
「馬鹿な事言ってる暇があったら仕事しなさい。全く」
 おやすみ、と二人の思ったより柔らかい声にアズールはわずかに眉をひそめて電話を切り、スマホをサイドテーブルに置く。
「なうなう」
 ごん、と手のひらの丸まった内側に、猫のフロイドが頭を擦りつけてセルフよしよしをし始めたのを眺め、アズールはこしょこしょとフロイドの頭を撫でつけ、脇でじっと見つめていたジェイドの頭もこしょこしょと撫でてやった。
「なう」
 猫のアズールは枕元で足を揃えて座り、両前足をぐっと伸ばして待機をしていた。
「はあ、はいはい。寝ますよ」
 ごろりと横になったアズールの頭のそばに、猫のアズールがもそもそと移動いて肩の辺りに丸まり、尻尾が首の辺りをくすぐる。ジェイドとフロイドも両脇に身体をごりごりと押しつけて場所を広げて、ふうっと一息ついてから身体を丸めて寝始めた。
 ――この生き物、気の使い方がジェイド並みに回りくどくないか
 人間と同じような寝息を立てる三匹の猫に、アズールはふうっ息をついてから、動きにくいな、と思いつつ手で撫でながら目を閉じた。

「ひとりぼっちよりは一緒に寝るのが一番だと思うよぉ」
「ふふ、経験者は語るというやつですねぇ」
「そういうものか」
 三匹は無意識に撫でるアズールの手にすり寄りながら、そんな事をひそひそ呟いていた。
 

いいね!