はたらきもののねこ


けだまアンソロに寄稿したタキシード白黒柄にゃんに(魔法薬とかのあれで)なったアズのイドアズ。
怠惰になどならないねこさんなアズ


2025-11-07 21:02:52
文字サイズ
文字組
フォントゴシック体明朝体
 確かに恨みを買うことはままありますよ。
 何しろ、取引商売、ちょっとばかりあこぎ。ええ勿論。この学校でしたらまあよくあることです。多分。
 ちょっと、目の前で紐を振らないでください。集中出来ません。
 ――なんの話だったですっけ? そう、確か僕がこうなるに至った話、でしたね。
 いえ、まあこの学校ならよくあるお約束、と言う奴なんですけど。

  ※※※
 
 にゃー、ななねん、にゃなななん、とやけに流ちょうに喋る猫の言葉を翻訳していたジャミルは、嫌そうな顔でフロイドとジェイドの方に目を向けた。
「……帰って良いか?」
「そこを何とか」
「オレ達よりウミヘビ君の方が動物言語得意じゃんー?」
「……そうだったか?」
 ジャミルは机の上で優雅にしっぽを揺らしている黒くふさふさの被毛の猫を前に、ジェイドとフロイドを睨む。オクタヴィネルは大体において座学の成績が良い。ジェイドは当然だが、フロイドも時々とんでもない成績をたたき出すことがあるのは知っていた。
「うにゃああん」
 全く困ったものですね、うちのが大変申し訳ありません。
 と、はあやれやれ、と首を振り、猫らしく後ろ足で首回りをかりかりと掻き始めたアズール(猫の姿)は、慣れない身体でそんな事をしたせいか、バランスを崩して後ろにごろんと倒れ込んだ。
「おい、嘘だろそこまで鈍くさくなれるのか」
「ぎにゃあああ!」
 ジェイドはニコニコとひっくり返ってバタバタと身体をよじるアズールをそっと抱え、正しい猫の抱っこの仕方――ネット検索済み――で猫のアズールのお尻を支えるようにしてジャケットが毛だらけになるのを気にしない様子で腕に収めた。
「……意外に重たいですね」
「ぎゃ⁉」
「そのタイプは元々大型だからな。寒冷地に住むタイプの猫は毛も多いんだが、身体の大きさも大きいのが多いそうだ。さっきクルーウェル先生が体重測定をしていたが、このタイプなら健康なサイズと重さだと太鼓判を押していたぞ」
「だってーアズール。そんなしょぼしょぼにならなくていいって」
「ぎい」
「おい、せめてもう少しの間猫らしい鳴き声したらどうだ」
 あまりにも汚い鳴き声になったアズールにジャミルは眉をひそめるが、ジェイドとフロイドはニコニコとしている。
 ――いやこの二人さっきからずっと機嫌が良いんだよな。怖い……。
 深謀遠慮のスカラビアらしく、ジャミルはそろそろこいつらに任せようと席を立つ。
「じゃ、そういう事で。さっきも言った通り、妙な事をするより自然回復を待った方が良いらしいから、体調の変化に注意しつつ安静にしていてくれ」
「承知しました。お手数おかけしました。ジャミルさん。このご恩は後ほど」
「いい、絶対に良い。いらない。オレと関わらないでくれればそれでいいから!」
 バタバタ逃げるように教室から出て行くジャミルに、フロイドもひらひらと手を振って見送る。
「だって、アズール。安静にしとこうねー」
 ふん、とアズールは鼻を鳴らしてしっぽを不満げに振り、うにゃうにゃとフロイドを見上げて小さく鳴いた。
「そうだねぇ、うんうん。じゃあ部屋もどろ」
「ぎにゃー!」
「そうですね。フロイド」
 抗議の声を上げるアズールを無視してジェイドとフロイドはさっさと教室を出て、廊下を歩いて寮への道を歩き出す。
 抱っこされたアズール(猫の姿)は無視されたのが随分腹立たしいのか、ジェイドの肘と身体の隙間に鼻を突っ込んでしっぽをバシバシと振り、不満げに鳴きうずくまった。フロイドは、ちょっと前に見たインテリアのお店に置かれていたムートンクッションのようだと猫のアズールの後頭部を撫で、ジェイドは困ったアズールですね、と更にご機嫌になっていた。
 こう言うときだけやたらに分かりやすい男である。
「うーにゃなうにゃうぎゃうなう! (今日は職員会議で午後からはお休み! 稼ぎ時なんですよ! 僕が行かないでどうするんですか)」
「安静にと言われたでしょう? 三日ほどの辛抱なのですから、少し我慢してください」
「それに、オレ達が出るから一応大丈夫でしょ」
「ぐにゅるー」
 表情筋が無い筈の猫の顔は明らかに不満という顔となり、ジェイドの制服にぐりぐりと嫌がらせのように猫の毛をべったりくっつけた。
「おやおや、アズール。甘えるのは良いですが制服では無く部屋着にしてください」
 自分なら嫌がる筈の行為を、何故かおかしいのだがジェイドは溶けたような、寮生の前では絶対にしないだらしない――それでもよほど注意しなければ分からないが――デレッとした顔でアズールの狭い額を撫でる。
「ぐぎゅー」
 そうじゃない、と文句を言いながら、やがて鏡を通って寮の中に戻った二人と一匹は、アズールの部屋へ入る。
「ひとまず、ベッドの上には別のシーツを敷いて、元に戻ったらシーツを洗濯に出すようにしましょう」
「なん」
 首をカリカリと、今度は倒れないようにお尻をよいしょと床につけて掻いたアズールの猫の身体からふわわふと抜け毛が漂い、自分でそれを見てぎゃーとアズールは悲鳴を上げた。
「どうせ服の繊維とかも落ちるから良いじゃん。海と違ってその辺面倒だよね」
 魔法でブラシを取りだし、フロイドがアズールの身体に櫛を通し始めると、アズールは両手を揃えて身体をぺたりと伸ばして座り込む。
「うにゃぐにゅるうぬにゃん(幸いオクタヴィネル寮はカーペットが最低限で掃除がしやすいらしいので良いですけどね)」
 しっぽを振りながらアズールはそう呟き、身体を伸ばして床にごろりと転がった。
「それではアズール、僕達は仕事をしてきますので良い子で待っていてください」
「あは、お土産にツナ缶持ってきてあげようかぁ」
「いにゃん(いらないですよ)」
「しかしアズール、キャットフードのカリカリはいやでしょう? 栄養バーみたいで。グリムさんみたいにツナ缶とか、やはり魚を食べるのが宜しいかと。ええ、カルパッチョなどなら」
「いやスパイスとかハーブはダメじゃね? ささみはささみ」
「ささみ、確かに高タンパクですし良いですね。ゆがいて持ってきましょう」
「ぎゅにゃああ(勝手に決めるなよ)」
 アズールの抗議の声は聞こえているはずだが、ジェイドとフロイドは寮服に着替えるとそのまま軽やかな足取りで部屋から出て行った。


 猫、という生き物についてアズールが知るのは部活の先輩が見せてくる情報と、経済紙で猫を使った地域活性にマスコット的に使われているとかそういう物だ。
 身体を少し斜めにして寝転がり、自分のしっぽを動かしてもふもふしているそれを眺めて、アズールは思案していた。
 飲食業では動物を入れるのは衛生上良くない。勉強した食品衛生の資格内容を鑑みても、自分がラウンジに行くのは確かに問題だっただろう。もし監査があったら大変な目に合っていたかもしれない。
 危なかった。
 しっぽがぱたり、と床に落ち、アズールは自分のタコ足を思い起こして何となく前足でぱしっと押さえる。ひこひことしっぽの先が自分の意思とはあまり関係無く揺れ、アズールは肉球の間で押さえたまま、むうっとどうしても気になり口で押さえ込もうとする。
 ぱしっと自分のしっぽに顔を打ち付け、ぱっと手が離れて背中側に回り、うにゃうにゃと文句を一人(一匹)で言いながら、アズールはしっぽをもう一度押さえようと起き上がって背中の方に目をやり、しっぽの先を押さえようと前足をばしっと出す。しっぽはするりとアズールの目の前から消え、お尻の方に移動し、アズールは「なうなう!」と、思わず不機嫌な鳴き声を口の中でもごもごと言いながら、後ろを見ようと身体を捻り、そのまま捻りすぎてこてんと転がった。
「うー? (なんてことだ……)」
 パタパタとアズールは寝転がったまま身体を更に捻ってみた。何と言うことか、そういえばイデアが猫は身体が柔らかいと言っていたことを思い出し、これがそうか! と思わずひげがピクピクと興奮で動く。
 元々の身体は八本の足が自在に動き――偶に勝手に動いてしまうが――、身体も柔らかく、足の一本分の太さがあれば何処にでも潜れたのだ。しかし、陸の身体になってからというもの、少し座って勉強をしていただけで筋肉は固くなり、柔軟運動というものをしなければ急激な運動などは身体に毒だとまで言われた。
 ――なんと面倒で脆弱な身体でしょう
 ころんと身体を起こし、ついでに少し前足と後ろ足を交互に伸ばして立ち上がると、アズールは試しに床にジャンプで椅子に飛び乗ろうとした。
 とはいえ慣れない身体ではある。慎重なアズールは、まず前足で椅子の座面に両手を乗せて身体を伸ばして覗き、身体と足の距離感を掴んでから一度地面に前足を降ろし、お尻を振って勢いを付けて飛び乗ろうとジャンプした。
 カシカシカシ……と座面をひっかく音空しく、アズールはべたんと床に落ち、思わずふん! と息を吐いてしっぽをぶんぶん振ってくるりとその場で一周して、もう一度、今度は飛距離を稼ごうと強めに後ろ足で床を蹴った。
「うびゅ」
 今度は思ったより勢いが付いて頭を背もたれに思い切り突っ込み、アズールは声を上げた。
「……ふん」
 ジェイドとフロイドが戻ってきたら、改めて僕のこの素晴らしいジャンプを見せてやらなければ! としっぽがご機嫌に左右に揺れ、アズールは更に机の上によいしょとよじ登った。これはもうさっさと登れば良いので見た目など気にしてはいられない。
「ふう」
 機嫌良く机の上に登り、アズールは窓の外に目をやった。海の中にあるオクタヴィネルの寮である。夕方の大分暗くなってきた海の様子は故郷のようで、丁度良い窓と窓枠の隙間に身体を押し込むと、これが見事に具合が良い。
 モフモフの毛がはみ出て少し不格好だが、身体はジャストフィットというやつである。
 更に前足を両方揃えて伸ばしてしまえば、更にぴったりと窓枠に収まり、中々に快適である。
「んー」
 ガラスに映る自分の姿はふわふわもふもふの猫の姿で、慣れないせいか耳がピクピクと動くのにも視線が移動する。
「……っふう」
 アズール・アーシェングロットは、はあ暇、と彼がいつもならば思わないことを考えて、しっぽを振りながらこてんと転がって目を閉じ、すうすうと寝始め――。
「うぬやああああ!」
 慌てて飛び起き、ぼとんぼとんと椅子から地面へと降りて、爪が床に当たるリズミカルな音をさせながら、ドアの前に立った。
「うにゃああああ」
 声を張り上げて外にいるかもしれない寮生に声をかけてみるが、応答は無い。
「うぬゆやん(こまりましたね)」
 猫になったせいか、アズールは若干稚魚だった頃の堕落したような気分になりそうだった。何しろ猫、ただ寝て、遊んで、食べるだけの存在である。いや、それは室内飼いの猫の場合らしいが。とにかく、イデアから聞いた話からはそう感じていた。
 ――冗談では無いですよ! 食べて寝て遊ぶだけなんて何の生産性も無い!
 しっぽを怒りに震えながらぶんぶん振り回し、アズールは更になうなう叫んでみるが、やはりしんと外は静かである。
「うー」
 アズールは、こうなったらと身体をよいしょとドアに沿って伸ばして後ろ足だけで立ち、ドアノブに前足を掛けようとした。
「うぐー」
 届かない。
 そこそこの大きさの猫ではあったが、ドアノブには少しだけ体長が足りなかった。少し考え、アズールはその場でジャンプをしてドアノブに前足を引っかけてみたが、ドアノブは跳ねる動きだけで動く気配はなさそうだった。
「うぐうう」
 このくらいで諦めるなど、アズール・アーシェングロットには存在しないことである。むしろ、目の前のドアノブを使い、ドアを開けるという目標に目が輝きしっぽはぷるぷるとやる気に満ちて細かく震え始めた。
「うにゃう!」
 何度も何度もドアノブに向かってジャンプをして、ドアを開けようと努力するその猫の姿はまさにアズールそのものである。その場にジェイドとフロイドがいれば動画でも取りながらハンカチを握って応援でもしていることだろう。


 店はそれなりにつつがなく、そこそこの忙しさの中閉店が近づいていた。
「何事も無くて良かったですね」
「はあ、まあねえー」
 肩を回すフロイドは、疲れたーと呟きながら、ラウンジの片方開いたドアの方に目を向けた。
「なう」
「……あーネコチャンだ!」
「ええ、なんでこの寮に入ってきてるんだ?」
「すげーもふもふ! かわいー! 迷子? 迷子?」
 入り口から、さながらモデルのようなしゃなりしゃなりとした歩き方で入ってきた猫に、カウンターと、その側にいたバイト達が騒ぎ始めた。扉に近いところにいた客の生徒も、スマホを手に立ち上がって猫のそばに寄っていく。
「……あ、あれ? でもこの猫、もしかして」
「なー!」
 バイト達を一喝するように鳴いた猫に、ジェイドとフロイドはつんのめるように慌てて扉の方に駆け寄ってきた。
「アズール⁉」
「どうやって外に? 扉は開けられないはず……」
「うにゃななうななな! (勿論、自分で開けましたよ!)」
 胸を張るように前足を揃えて立ったアズールに、ジェイドとフロイドは、思わずぐったりとため息をついた。この男がそう言う人魚だと二人はよく知っていたはずである。
「……鍵を……掛けておけば……」
 ぎぎ、と歯がみするジェイドに、フロイドはなんとも言えない顔をしてから、しゃがみ込んでアズールを撫でた。
「部屋で待っててって言ったのに、オレら信用出来なかったわけ?」
「そうですよ。ひどいです……傷つきます」
 しくしく、と目元を押さえるジェイドに、思わず靴の上に乗っかり、アズールはしっぽをバシッとジェイドのスラックスの裾にぶつけた。
「なうななうぎゃうなう(違いますよ。部屋にいると勉強も出来ないのでやることがなくて寝転がりそうになるんですよ)」
「それは、そのまま寝てしまえば良いじゃないですか。普段から働き過ぎなんですよ」
「そうだよぉ」
「にゅあうななうぷなん(時は金なりですよ! そんな勿体ない時間の使い方出来るわけないでしょう)」
 アズールはそう言ってにゃうん、と一声鳴いて、アズール? あれが? と目を瞬かせている客達ににゃうぬあやんと挨拶をして、カウンターの足下に来て置物のようにきっちりと座りなおした。
「……フロイド、アズール、抱っこしてあのカウンターの所に乗せてあげてください」
「やっぱあれジャンプ出来ないから……」
 ひそひそと囁きながら、二人は頷いてフロイドがアズールを抱えてレジのあるカウンターに乗せる。
「そろそろレジ締めだし、後ここやるから特に他のところで仕事なさそうなら上がって良いから」
「は、はい!」
 名残惜しそうな顔をする寮生は、寮長……とアズールに手を伸ばし、じろりとフロイドに睨まれて退散していった。
「……はあ、ったくどいつもこいつも」
「なななうぎゃうにゃ(猫って人気らしいですね。写真撮るとか撫でるのを上手く利用出来ませんかね)」
「したらオレとジェイド、暴れるから」
「ぎゃな⁉」
 しっぽがピンとびっくりして動き、アズールはなうなうなうあとフロイドを見上げて落ち着きなさいと声をかける。
「だってさー、考えて見てよ。ベタベタ触ってくるんだよしらない奴らが。下手したらなんか嫌がらせしてくるかもじゃん」
「ぬう(それは否定出来ませんね)」
「おや、どうかしましたか?」
 閉店間際という事もあり、ある程度落ち着いたところでジェイドもフロイドとアズールのそばに寄ってきて頸を傾げた。彼は流れるように手袋を取り、アズールの頭に手を伸ばして耳の間を掻き始める。
 ――あ、あ、それをされると……
「んぐー」
 こて、とアズールは抗いがたい気持ちよさに目を細め、頭をカウンターに沿わせてぼとんと転がった。そのまま、前足をぎゅっと伸ばすと、ジェイドの表情がびしっと引きつった。
「……アズール、そういう態度は良くありませんよ」
「にゅなうなうなぎゃー(仕方が無いでしょう、猫だからか身体が勝手にそうなるんですから)」
「こんなので他のやつに撫でさせるとか無理じゃんねぇ」
 顎の辺りをこしょこしょとフロイドが撫でると、どうにもゴロゴロと喉を鳴らすのを止められず、アズールはしっぽを振りながら更にごろんとお腹を見せてカウンターの上で転がった。
「ホタルイカ先輩が言ってた猫吸い……ちょっと意味分かっちゃったかも……」
「……ねこ、すい……」
「ジェイド、顔。取り敢えずもう今日は締めの作業始めちゃうから」
「ええ、そうですね」
 フロイドはアズールの頭を撫でるのをやめると、アズールはのそりと顔を上げて何事も無かった、という目で起き上がって東洋の猫の置物のようにカウンターに座った。
「……アズール、念のため今日は僕達も一緒に部屋で寝ますね」
「うなあ」
 仕方ないですね、とアズールはしっぽを振り、二人が締めの作業を始める横で、一声堂々とした鳴き声を上げて閉店を告げた。


 何かあっても大丈夫なようにと、ジェイドとフロイドはアズールの部屋にジェイドの寝袋を二つ敷いて二人は寝転んだ。天井を見上げながら時折顔を上げてベッドの上のアズールを見つめると、猫の小さな身体が上下に動きながら眠っているのが目に入った。
「……アズール、結局なんで猫になったの?」
「……そういえば、ちゃんと聞いていませんでしたね」
 ジャミルとアズールに会って、その際説明を、というところで話が別の方に飛んでいた気がする。二人が記憶を辿っていると、ああ、と思わずため息をつく。
「アズールが説明を忘れるのも珍しいですね」
「ね、まさかさあ、猫になったから忘れっぽくなってるとか?」
「そういう……ものでしょうか」
「もし誰かのユニーク魔法だったとして、直せなかったらずっと猫のままって事じゃね? どうする……?」
「それは」
 シェラフから起き上がり、ジェイドは思わずベッドの上の丸い塊を見下ろす。時折耳をパタパタとさせているその様子は愛らしいが、しかし。
「それは……そうですね……」
 ジェイドは小さな生き物を見下ろし、首を振る。
「そうですね。陸の生き物に海は辛いですから、大変ですけど家を買ってそこで室内飼いに」
「いや、すげー具体的で怖いんだけど……」
 フロイドも起き上がり、ジェイドと向かい合うように寝ているアズールを覗き込む。
「……まあ、でもアズールだし何とかなるよねぇ」
「……それは、そうですね。アズールですから」
 うにゃうにゃとどうやら寝言を言っているのか、猫の姿となったアズールはぐっぐっとまるで地面を歩いているように前足を動かしながら、機嫌良さそうに眠っていた。
「はあ、もふもふって陸にしか無い感触だねぇ」
「そうですね」
 頭を寄せて、ジェイドとフロイドは眠っている猫に顔を寄せ、頬ずりをしていた。

 目を覚ましたアズールは、まだ時間が夜明け頃であることに気付くと、どうしたものかと少し悩んで身体を伸ばした。ベッドの上から下を見下ろしてシェラフで眠る二人をしばらく眺め、やがてゆっくりと下に降りて、二人が寝ている間に座り込んだ。
 アズールは、何となく双子の間で身体を丸めて、しっぽの先で二人の顔をパシパシと叩きながらしばらく眺めていた。
「……いや、アズール。しっぽがくすぐってー」
「流石にそれは酷いです」
「ななん」
 起き上がった二人はアズールを撫で、そう言えばとアズールに問いかけた。
「あの、アズール。何故その姿になったんです?」
「なななうねうひゃ(そういえば言い忘れてましたね)」
 アズールはそう言って顔を洗いながら、飛行術で練習していたときにユニーク魔法を掛けられたことを二人に話した。
「一体誰がそんな事を」
「ななうねにゅん(ああ、それはジャミルさんが調査してくれています)」
 アズールはそう言って、自分のスマホを魔法で引き寄せ、肉球で器用にタップしてメッセージをチェックした。
「にゅあんなななん(ああこれですね。二人とも。もう少ししたらお話ししてきてください。程度は任せます)」
 アズールの言葉に、ジェイドとフロイドはスマホを見つめてにやりと微笑んだ。
「あは、良いよー。ちゃあんと、お話してこないとねぇ」
「ええ、楽しみですねフロイド」
 くあ、と欠伸をして、必要なことを伝えたことに満足したアズールは、二人の座り込んでいる間に潜り込み、ぐうっと眠りだした。

 数時間後、教室に入ってきたアズールに、ジャミルはため息をついて視線を向けた。
「おはようございます。ジャミルさん。お手数を掛けました」
「ああ、全くだ。約束通り、次の対抗試合の時にフロイドをちゃんと試合に出させてくれよ」
「ええ、勿論。協力は惜しみませんよ」
 元の姿のアズールは、そう言いながら席について髪を手でぐいぐいと撫でた。
「……なんだ、たった一日でもう猫の習性が身についたか」
「いえ、そういう訳では……」
 咳払いをするアズールは、ユニーク魔法を掛けた人間にこれも追加で払わせなければ、とにやりと笑った。
 まあジェイドとフロイドが上手くやってくれたな、などと、考えて始業のチャイムと同時に入ってきたトレインの方に視線を向けた。

 どん、と少し離れた場所らしい衝撃音で、窓がビリビリと揺れた。
「……はあ」
 魔法史の授業をしていたトレインは、思わずため息をついて廊下に顔を出した。
「……魔法薬学室の方か」
 ざわめきに手を叩いて静かにするよう生徒に一喝し、トレインは再び教科書に目を向け授業を再開した。
 そこに、バタバタと廊下を走る音と、大変だーと、賑やかな声がしてジャミルが思わず机に突っ伏した。
「おーい! アズール! ちょっと来てくれないか?」
「こら、アルアジーム、授業中だ」
「あ、すみません。ただ、ちょっとその、魔法薬学で」
「……調合ミスだろう。そろそろ変身薬などの授業が二年生は行われる。毎年必ず事故が起こるから珍しい事でも無い」
「そうなんですけど……。えっと、ジェイドとフロイドが薬品を被っちゃって。リドルが言うには、変身薬との飲み合わせ? とか何か色々あるらしくて」
 カリムの言葉に、アズールは立ち上がり
「先生、少し様子を見てきても良いでしょうか。ジェイドもフロイドも人魚ですから、薬品を浴びたという場合少し面倒な事になりますので」
「……それはそうだな……。だがアーシェングロットも気をつけなさい」
「ええ、分かりました」
 カリムの後について廊下に出たアズールは、その足で並んで魔法薬学の実験教室に入った。
「一体何を作ってたんです?」
「動物になるっていう薬なんだ。勿論、十分間とかの短いやつなんだけど」
「は……」
 嫌な予感が思わずして、アズールは教室の中に目を向けた。部屋の中は小規模な爆発によって物が散乱し、液体が飛び散っていた。その中で、テーブルの上に置かれた服やマジカルペンと共に、それはいた。
「……で……」
 思わず呟いたアズールに、テーブルの上でぐねぐねしていた片方が、がばりと起き上がった。
「んぎゅああああん」
 かなり響く大きな鳴き声で、それはアズールに近づいて、のそりと前足を両方上げてアズールに伸び掛かってきた。
「うっ」
「ああ、アズール。来たのかい。一応クルーウェル先生の所感では、問題はなさそうと言う話ではあったんだが……その」
「こ、このデカい……生物は一体なんですか⁉」
「いやー、猫だよ。それ。ちょっとデカいけど。俺んちにも、確か妹が飼っているデカい猫と同じ品種だと思うんだ」
 カリムはそう言って、なあ、と少しばかり垂れた目の猫を見下ろした。
「……これ、フロイドか」
「そう、そんで、こっちのはジェイド!」
「んなーん」
 テーブルの上できっちりと両前足を揃えて猫らしく座る巨大なそれは、きゅっと目を細めてから一鳴きした。まさにジェイドだ。
「……はあ、はあ?」
 僕はもっと小さかったが? と思わず呟いたアズールに、ぬにゃぬにゃ(おやおや)とジェイド――猫の姿――が鳴いた。
「ぎゅぬにゃうにゃうなん(全くそんなに狼狽えるなんて仕方の無い人ですね)」
「狼狽えるとか以前に大きすぎるんですよ。どうするんですかこれ。ちょっとした小型の豹とか、そういう類いの物にしか見えませんよ」
「ウツボって確か海でも肉食系なんだろう? その生態が反映されているのかもしれないね」
「タコもですが」
「とにかく、二人とも、この姿になってしまってから生徒達をちょいちょい脅かしたりしてとても片付けも出来ないんだ。悪いが、オクタヴィネルの寮長として彼らを監督してくれないか」
 リドルはそう言って、二人の服とペンをアズールに手渡した。
「……いえ、それは、分かりますが……。ただでさえ面倒な生き物なのに猫……それもこんな大型になるなんて僕でも抑え込めるか……!」
「君以外に誰が出来ると思ってるんだい……。もうここの生徒達は満身創痍だよ……」
 疲れた顔のリドルは、そう言って二人を頼むよ、と片付けをしている生徒達の方に向かって行った。
「あ、ああもう!」
「にゅぎゃーぎゃぎゃぎゃ!」
「ぎゅけけけけ!」
 二匹の猫は、アズールの身体にすり寄り、仕方が無いと諦めてアズールは二匹を抱え上げた。
 どよめきが起こる中、アズールはけろっとした顔でカリムとリドルに挨拶をして、部屋から出て行った。
 顎をアズールの肩に乗せ、しっぽが明らかに機嫌良くびたんびたんと振り回す巨大猫のジェイドとフロイドは、去って行く教室の中に向かって一声鳴き、そのまま廊下の向こうへ消えていった。
 その鳴き声はさながら勝利したかのような、雄叫びにも近いもので、大型肉食獣と猫の境目とは……と残された生徒達は悩む羽目になっていた。

 廊下を歩きながら、抱え上げた猫にアズールはブツブツと思わず文句を言う。
「全く、お前達が猫になるなんて」
 ゴロゴロとマジカルホイールか何かのような駆動音じみたゴロゴロ音をさせる二人に、アズールは機嫌が良いなら良いですが、とため息をつく。
「まあ、昨日は僕でしたし、丁度良いか」
「うなあん」
「にゅあん」
 相槌を打つよう、甘えたようなやけに囁くような鳴き声を上げた二匹に、アズールはまあたまには可愛いものだな、と二人の頭に顔を寄せた。





いいね!