ああ夢であって欲しい。
そんな事を思いながら鏡の前に立つ。
小さな置き型の鏡は普段であれば化粧などで使うような、顔しか写らない類いのものだ。
それが今、なんだかひどく大きい。
「ぎゅ……」
口を付いて出るのは人のものでは無い鳴き声で、アズールは首を振り、威厳を見せようと胸を張って鏡の前に立った。
「ぎゅぴ……! (そんな!)」
願いは空しく、鏡に写るそれはまるっとしたフォルムのふわふわとした白い鳥。身体より少し大きい尾羽が床に垂れ、黒い嘴とまるっとした目はまあ愛らしいかも……? と自分で自分を見つめてアズールは考えた。だからといって、このフォルムになるのは納得がいかない。
「恐らく、魔法薬学で使った薬の材料の中に鳥の羽が混ざっていたか何かしたのだろうな……。全く、ゴミを取り除けと言っていたのに適当な処理をして」
誰がやったんだと、テーブルを挟んだ反対側のクルーウェルが呻く。ぎゅぴ、とアズールは授業の後やけにこっそり逃げ出した生徒がいたことを思いだし、アズールは怒りで震えて毛が逆立ち、更にまん丸になった身体でパタパタとその場で飛び跳ねた。
「きゅびびび! ぴーぎゅぎゅぎゅ! (絶対に対価を払わせてやりますよ)」
「アーシェングロット、その姿で血の気の多いことを言うな。なんかこう……」
違うんだ……と若干顔を歪ませるクルーウェルに、ぴ……とアズールは後ずさって微妙な顔をする代わりに、無い首を傾げた。
「魔法医療士も、取り敢えず安静に、変身薬の薬を飲むのを一旦中止して安静にすれば良いと言っている。分かっていると思うが、今のお前は体長十センチ、体重も十グラムしか無い。吹けば飛ぶし猫に追われたら終わりだ。勝手な行動はするな」
「ぎゅぴー」
身体がぎゅっと小さくなったのを見下ろし、クルーウェルはため息をつく。
「明らかに不満という顔をするな。まあ、取り敢えず寮へはお前の身内を呼んでいるから何とかなるだろう」
「ぎゅっ⁉」
クルーウェルが言う身内に、思わずジェイドとフロイドの姿が浮かび、アズールは冗談ではないとぎゅぴぎゅぴと机の上で抗議するように羽ばたいた。
その瞬間、ノックの音がして、入れという前に勝手にドアが開いた。
「失礼します。クルーウェル先生。アズールを引き取りに参りました」
「イシダイ先生ー。アズールどこー? 何か動物になってんでしょ?」
わくわくと、明らかに面白い物を期待してキョロキョロと部屋の中を見渡したフロイドは、遠くの壁、床からクルーウェルの方に視線を向け、そのままテーブルの上の白い綿の塊に目を向けた。
「……何この綿」
おもむろにフロイドはその白いふわふわに手を伸ばし、触れようとした。瞬間。
「ぎゅぴー!」
「いってー⁉」
フロイドの手にアズールが容赦なく突き、思わず大声を上げてフロイドは手を引っ込める。
「おやおや、まさかこれが……?」
「アズールぅ⁉」
机に顔が寄るように身体をしゃがませ、フロイドはテーブルと同じ視点で白いふわふわを見つめる。それはもぞ、と動いて真っ黒な目をパチパチとしながら、ぽてぽてとフロイドとジェイドの方にぴょんぴょんと跳ねた。
「そうだ。どうやら誰かが鳥の羽を材料の中に紛れ込ませたようだ。魔法薬自体がどうも妙な干渉を受けて変質して、この辺りじゃいない鳥の姿にまで変異してしまったんだが」
「居ない鳥……確かに、この辺りの山では見たことが無いですね」
ジェイドは屈んでアズールである白い小さな鳥を見つめたが、ふっと吹いたら飛びそうなその小ささに、思わず息を詰めた。
「……ああ、これはエナガ科の鳥で、シマエナガ、という東洋の一部にしか生息しないような鳥だ。なぜこれになったのかは正直分からんが……。まあ調べたとしてもあまり意味は無いだろうな……。とにかく、数日安静にして元に戻るかチェックをするように」
「はーい」
「承知しました」
二人は手を上げて答えたが、そのまま机の上のアズールを見つめて黙りこむ。
「……どうした。早く行け」
「……ねえイシダイ先生……。このアズール、どうやって触ったら良い……?」
「……は……」
学校の備品にすらここまでの配慮などした事の無いフロイドの口から漏れた疑問に、クルーウェルは思わず呆けた声を上げていた。
「ぎぃい」
明らかに不満というさえずりで、アズールはジェイドが恭しく持つ籠の中に収まってしょぼくれていた。何という虐待でしょう、とさえずりを翻訳した二人は聞いているのだが、あえて聞こえないふりをして歩いていた。
「それにしても、中身はいつも通りのアズールで安心しましたが、こうも小さくなられてしまうと心配ですね」
「ねえ、稚魚と同じくらいじゃん……」
籠の中でモチモチふわふわの身体をぴょんぴょんと動かして忙しない様に、二人はため息をつく。元々小さいこの鳥は、かなり動き回る習性らしい。加えて、アズール自身がまあ忙しない。
「……もしかして、行動が似ているから変化してしまったのでしょうか」
「まあ、その可能性無いとも言えないけど」
ちき、と籠の中でさえずるアズールに、ジェイドははあ、と何度目かのため息をつく。
「これが誰かのユニーク魔法ならいっそ良いのですが」
「ああ、相手ボコボコにしたらすぐ治せるもんねぇ」
「ええ、ですが、薬品による物となると、確かに僕らは何も出来ませんし」
心配です、とジェイドは籠を抱えて呟く。
「……ああ、そうだ。以前使っていたテラリウムの瓶があるんです。それの中でしばらく過ごしてもらいましょう」
「びえッ」
「いや、それはさすがに」
元に戻ったときどうすんだよ、と至極真っ当な意見にジェイドは渋々と、ジェイドの言った言葉に戦き縦に体積が伸びたアズールシマエナガ――あずえながを見下ろしていた。
――しばらくジェイドとアズール一緒にしない方が良いかも……
フロイドは兄弟ながら面倒くさいなーと遠い目になりながら、ジェイドからそろりと籠をとり、アズールの小さな頭を撫でた。
「ま、取り敢えず寝床は準備しねーとなのは確かだよねぇ」
「ぴぎゅるー(上等なのをお願いしますよ)」
羽根を広げてちきちきと鳴くアズールに、ジェイドは僕は? という言葉を言外に含ませた笑みを浮かべてじっと見つめてきた。
「……ぴきぃ」
ぷいっとジェイドから視線を逸らしたあずえながに、フロイドはじろっとジェイドを見つめた。
「……瓶に入れようとしたことかなり根に持ってるみたいだけど」
「そんな! 僕はアズールの安全を考えたのに」
はいはい、と適当に返して、フロイドは籠を手にアズールの部屋に入っていった。
「ぴっぴぴぴー、ぎゅぴいー……、ぴぎぎぎじゅぎゅぴー(全く安静にと言われても、授業もあるしどうしろというのか……)」
机の上にこしらえた、お菓子の空き箱のような白い箱の中に作られた寝床で、あずえながはぴょんぴょんと文句を言いながら飛び跳ねていた。
「あのさあ、あずえなが」
「ぎゅぴぴぴぴ! (勝手に変な名前を付けるな‼)」
猛烈な勢いで白いふわふわはフロイドの手を突き、更にバウンドして顔を近づけていたフロイドに体当たりをしてきた。
「ってー! だってなんか可愛くない?」
「……ぎゅぴい(だからといって妙な名前を付けるな)」
長い尾羽をふりふりと振りながら、アズールはぴょんぴょんと机の上を飛び跳ねる。そこに、ノックの音がして、ジェイドが部屋にガラスの小鉢や何やらを銀のお盆に載せて入ってくる。
「失礼します。アズール。お食事を持ってきました」
「ぎゅー」
ぺたん、と不満そうに鳴きながら、アズールはピヨピヨとそんなにいりませんと翼を振るが、ジェイドはそう言わずに、と切り分けたイチゴやリンゴ、ブドウなどが詰まったガラスボウルをアズールの前に置いた。
「水と、それにメープルシロップなども用意してみました」
「び、ぃ」
カロリー……と自分のもっちりふわふわの身体を見下ろし、ぷるぷると身体を震わせるアズールに、ジェイドはため息をついた。
「アズール、先ほどリドルさんから聞きましたけど、小さな動物は案外カロリーの消耗が激しいのが多いそうです。特に小鳥などは常に飛び回っていることから、食事は取らなければ具合を悪くしますよ」
「へー、そうなんだ。じゃあいっぱい食べよー? 良いじゃん、大きさ的にブドウなんて一個でお腹いっぱいになりそうだし」
「ぷぎゅう」
目の前に少しだけ皮を剥かれたブドウの実を差し出され、アズールは仕方が無いとフロイドの手にある実にちょんちょんと嘴で啄み始めた。
パシャパシャと写真を撮りまくるジェイドの横で、フロイドの持つブドウの実をちまちまとアズールは食べ、満足したのか綺麗に食べ終え、身体を震わせた。
「ああ、じゃあ少し拭きますね」
「ぎゅぴ」
手の上にアズールを載せ、柔らかい布で果汁などをジェイドは拭き取り、思わず頬ずりをする。
「ぎゅぷ」
「あーずりい」
おれも、と顔を寄せてくるフロイドに、アズールは不満、という目を細めた顔をする物の、取り敢えず大人しくしてから、ジェイドに寝床に戻された。
ふわふわのクッションの中に置かれたアズールは、床で寝ることにしたらしい二人の音を聞きながら目を閉じた。
「ぎゅぴぴー! (何故だー⁉)」
アズールは見事なバウンドをしながら机の上で叫んだ。
「三日経ちますが、中々もどりませんね」
アズールに果物を差し出しながらジェイドは困りましたねえと、さして困ってない顔で答える。困っていないどころかやけに元気にもアズールには見えた。
「ぴぴぴ! ぎゅーぴぴぴぴ! (もう安静だなんて言ってられませんよ! ラウンジの売上が横ばいで何かしなければと思っていたときだったのに!)」
机の上をぴょんぴょんと右から左にジャンプしながらアズールはさえずり、その様子をジェイドはそうですね、と相槌を打ちながら寝床を整えていた。
「フロイドと僕で交代で店を回していますが、彼も大分参ってるようですし」
「ぎゅー……(そうですか)」
アズールのからだが白パンのように潰れ、考え込むように頸を傾げる。ジェイドはアズールを両手で包んで撫でながら、
「僕はどちらでも構わないのですが。この姿はそれはそれで便利ですし」
「ぴぴぴー? (どこが?)」
「お世話の範囲が広がることですかね」
「ぴえ……」
両手でしっかり包んでくるジェイドに思わず身体が縦に伸びるアズールに、ジェイドは冗談ですよ、とニコニコと答える。
「とはいえ、流石に医務室に行った方が良さそうですね」
「ぎゅぴー」
そうしてください、とアズールがパタパタと羽を羽ばたかせると、ジェイドは籠にアズールを入れて部屋から出た。
「あー、ジェイドじゃん」
部屋から出てすぐのところで、フロイドがくしゃくしゃの頭のままジェイドに声をかける。
「おや、フロイド。起きましたか」
「んー、あれ、アズール?」
「今日も姿がこのままだったので、医務室に行ってみようかと」
「あー確かにねぇ」
オレも行くーとフロイドは目を擦って部屋の中に戻ると、服をさっと着替えて出て来た。
寮から出て医務室に向かう道すがら、フロイドは視線を感じてチラリと目線だけをそちらに向けた。
それは気のせいかとも思えるようなものだったが、こう言うときのフロイドの勘とも言うべき物は大抵当たるものだった。
「……ちょっと行ってくるー」
「ぴぎゅい!」
バサバサと籠の中でアズールが羽ばたき飛び上がり、ジェイドは落ち着いてくださいと慌てて手で籠の上に手を置き蓋をした。
「ぴゅぎー!」
「なんか、一緒にいきたいみたいだねぇ」
籠の中でバタバタと暴れるアズールに、仕方が無いですねとジェイドはため息をついて、医務室とは別の方向へと歩き出した。
「……で。数は」
「四人くらい。まあ気のせいならそれでよし。ちょーっと遊んでやるだけだし……。そうでなければ」
「お話し合いをしなくてはなりませんねぇ」
にたにたと笑う二人の間で、籠の中に収まったアズールは翼をバサバサと広げて機嫌良くさえずった。
彼らは中庭の片隅でお互いに……さながら責任のなすりつけあいをしていた。
「くそ、クルーウェルのやつ! 犯人捜ししてるらしいぞ。どうすんだよ。バレたらそれこそ退学になるかも……」
「元はといえば、面白がってあんなことしたお前が……」
「止めなかっただろ! おまけに、あいつの取り巻きまであちこち嗅ぎ回り始めたんだぞ」
リーチ兄弟に見つかったら……と中庭でぼそぼそと額を付き合わせていると、ピチチチチとどこからか鳴き声がして、彼らは顔を上げ、その視線の先に見覚えのある、目が笑っていないがとてもニコニコしている双子と目が合った。
「ぴーちちちちぎゅぴいぃぃ!」
双子の片方が持っている籠から白い何かが飛び出し、それは一人の目をめがけて飛びかかった。
「ぎゃー! い、いててて! 目! ダイレクトに目を!」
目をくりぬこうとするその弾丸のような白い何かは逃げようとして制服を掴まれ踏まれ、にこやかに佇んでるフロイドから逃れようとばたつく。
「おら、大人しくしとけ」
ついでに蹴飛ばされ、生徒達は悲鳴を上げる。
「な、なんだよその魔法具は!」
「おや、気付かなかったんですか? こちらはアズールですよ?」
「ぴーきゅきゅきゅ」
空を飛んで華麗に相手に攻撃をしたと、胸を張ってフロイドの頭の上に乗っかり、アズールは白い身体をもこもこと膨らませ、可愛らしいはずの姿で生徒達を睥睨した。全く中身は変わっていない。
「アズールぅ、あんまり胸反ると落ちるよぉ?」
頭の上に手を伸ばし、まさに後ろにひっくり返るところだったアズールを手の中に滑り込ませ、フロイドは先ほどの生徒達に向けた声や目付きからは想像出来ないほど、柔らかい表情と手つきでジェイドの持つ籠の中に収めた。
「ぴぃ」
「満足しましたかアズール」
籠の中で目を細めたアズールに、ジェイドはにこやかに微笑み、フロイドが踏みつけている生徒達を見下ろした。
「クルーウェル先生が随分お怒りでしたねえ。このまま突き出すのも良いかもしれないですね」
「……ひえ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、ほんの出来心で……」
「本当に……反省して……」
四人は後ろで指を鳴らすフロイドに怯えながら、ジェイドの足下に縋り付いた。
「そう言われましても。僕はオクタヴィネルの副寮長として、先生にきちんと報告する義務がありますし」
「……ぴぃー! ぎゅぴぴぴぴー、ぴぴ(まあ、待ちなさいジェイド)」
籠の中でアズールが飛び跳ね、ジェイドの言葉に翼をばたつかせた。
「ぴーぴぴぴー! ぴぴぴ(今回彼らは初犯でしょう。僕としても中々面白い体験でしたし……。海の魔女の精神に基づけば、彼らに慈悲を与えるべきかもしれません)」
「ああ、なるほど。ではアズール。どのように?」
「ぴぴぴぴー、ぎゅりりりり、ぴー(あなた方は選べます。僕達に対価を差しだし、見逃してもらう。あるいは、処罰を受けるか)」
「へえ、さっすがアズール。こんな奴らにも慈悲深いねぇ」
「ええ、本当に。勿論、皆さんその慈悲深さに感謝して」
「対価、出すよねぇ?」
「ぴぎゅー……」
白く愛らしい小鳥は、睥睨するように生徒達を籠の中から見下ろし、彼らには気のせいか恐ろしい生き物にすら見えて来たような気がしてきていた。
「はあ、全く。災難でしたねぇ」
長い足を伸ばし、ベッドに転がったアズールは、呟いて両手を見下ろした。人魚の頃とは色は違うが、いつもの自分の手である。実習で使う材料に面白半分で鳥の羽を混ぜ込んだ生徒達から弱みと諸々を巻き上げたその足で、医務室でしばらく様子を見ていた所丁度身体が戻っていき、ようやっと検査から戻れたのは夜になってからだった。
陸の身体になって大変とは思っていたが、なんだかんだとこの身体に戻ってほっとしている自分に、アズールは慣れというのは早いなと考える。
「アズールー」
「お茶をお持ちしましたよ。お疲れ様でした」
部屋にやってきたフロイドとジェイドに、アズールはベッドに寝転がったまま顔を向けた。
「結局なんであんな鳥になったのかはわからないままだねぇ」
「ええ、まあ僕達は魔法薬を元々服用しているから仕方が無いですが」
お茶を渡され、アズールは味を堪能しながら、ため息をついた。
「はあ、半年分の果物を食べた気分です」
「あは、でも身体より大きい果物食べてたアズール可愛かったー」
「愛らしかったですよ。果物ならもっと食べても良いのでは?」
「……果糖はバカに出来ないんだ!」
アズールはそう言ってカップを置いて
「はあ、せっかく飛べる感覚を掴んだと思ったのに、飛行術の練習を試しにしたら全く! 変化が無いんですよ……! おかしいですよ」
「おや、残念ですねぇ」
「箒で飛ぶのと翼だと違うんだねぇ」
パリパリと自分で持ってきたスナックを食べながら、フロイドとジェイドは適当に答えて機嫌良くアズールを眺めていた。
フロイドはアズールの寝転がっているベッドに滑り込むと、陸の身体の彼に腕を回す。
「やっぱこっちが良いなー。まあ一番は元のタコちゃんだけど」
「そうですね。僕もそう思います」
いつの間にか同じようにアズールのベッドに滑り込んできたジェイドは一言多くもなく、アズールはなんなんだと思わず顔をしかめた。
「勝手に人のベッドに入るな」
「いいじゃんー。ちっちゃいのと違って潰れたりしないから安心だし」
「そうですよ細かいことを気にしてはいけませんよ」
そう言う話か? と思いつつ、アズールは元の身体だからこその、いつもの二人を見つめて、今日はこれ以上は良いかと目を閉じた。
「もう寝ますよ」
返事が聞こえて気がしたが、アズールは気にしないことにしてそのままふうっと眠りに落ちた。
終
そんな事を思いながら鏡の前に立つ。
小さな置き型の鏡は普段であれば化粧などで使うような、顔しか写らない類いのものだ。
それが今、なんだかひどく大きい。
「ぎゅ……」
口を付いて出るのは人のものでは無い鳴き声で、アズールは首を振り、威厳を見せようと胸を張って鏡の前に立った。
「ぎゅぴ……! (そんな!)」
願いは空しく、鏡に写るそれはまるっとしたフォルムのふわふわとした白い鳥。身体より少し大きい尾羽が床に垂れ、黒い嘴とまるっとした目はまあ愛らしいかも……? と自分で自分を見つめてアズールは考えた。だからといって、このフォルムになるのは納得がいかない。
「恐らく、魔法薬学で使った薬の材料の中に鳥の羽が混ざっていたか何かしたのだろうな……。全く、ゴミを取り除けと言っていたのに適当な処理をして」
誰がやったんだと、テーブルを挟んだ反対側のクルーウェルが呻く。ぎゅぴ、とアズールは授業の後やけにこっそり逃げ出した生徒がいたことを思いだし、アズールは怒りで震えて毛が逆立ち、更にまん丸になった身体でパタパタとその場で飛び跳ねた。
「きゅびびび! ぴーぎゅぎゅぎゅ! (絶対に対価を払わせてやりますよ)」
「アーシェングロット、その姿で血の気の多いことを言うな。なんかこう……」
違うんだ……と若干顔を歪ませるクルーウェルに、ぴ……とアズールは後ずさって微妙な顔をする代わりに、無い首を傾げた。
「魔法医療士も、取り敢えず安静に、変身薬の薬を飲むのを一旦中止して安静にすれば良いと言っている。分かっていると思うが、今のお前は体長十センチ、体重も十グラムしか無い。吹けば飛ぶし猫に追われたら終わりだ。勝手な行動はするな」
「ぎゅぴー」
身体がぎゅっと小さくなったのを見下ろし、クルーウェルはため息をつく。
「明らかに不満という顔をするな。まあ、取り敢えず寮へはお前の身内を呼んでいるから何とかなるだろう」
「ぎゅっ⁉」
クルーウェルが言う身内に、思わずジェイドとフロイドの姿が浮かび、アズールは冗談ではないとぎゅぴぎゅぴと机の上で抗議するように羽ばたいた。
その瞬間、ノックの音がして、入れという前に勝手にドアが開いた。
「失礼します。クルーウェル先生。アズールを引き取りに参りました」
「イシダイ先生ー。アズールどこー? 何か動物になってんでしょ?」
わくわくと、明らかに面白い物を期待してキョロキョロと部屋の中を見渡したフロイドは、遠くの壁、床からクルーウェルの方に視線を向け、そのままテーブルの上の白い綿の塊に目を向けた。
「……何この綿」
おもむろにフロイドはその白いふわふわに手を伸ばし、触れようとした。瞬間。
「ぎゅぴー!」
「いってー⁉」
フロイドの手にアズールが容赦なく突き、思わず大声を上げてフロイドは手を引っ込める。
「おやおや、まさかこれが……?」
「アズールぅ⁉」
机に顔が寄るように身体をしゃがませ、フロイドはテーブルと同じ視点で白いふわふわを見つめる。それはもぞ、と動いて真っ黒な目をパチパチとしながら、ぽてぽてとフロイドとジェイドの方にぴょんぴょんと跳ねた。
「そうだ。どうやら誰かが鳥の羽を材料の中に紛れ込ませたようだ。魔法薬自体がどうも妙な干渉を受けて変質して、この辺りじゃいない鳥の姿にまで変異してしまったんだが」
「居ない鳥……確かに、この辺りの山では見たことが無いですね」
ジェイドは屈んでアズールである白い小さな鳥を見つめたが、ふっと吹いたら飛びそうなその小ささに、思わず息を詰めた。
「……ああ、これはエナガ科の鳥で、シマエナガ、という東洋の一部にしか生息しないような鳥だ。なぜこれになったのかは正直分からんが……。まあ調べたとしてもあまり意味は無いだろうな……。とにかく、数日安静にして元に戻るかチェックをするように」
「はーい」
「承知しました」
二人は手を上げて答えたが、そのまま机の上のアズールを見つめて黙りこむ。
「……どうした。早く行け」
「……ねえイシダイ先生……。このアズール、どうやって触ったら良い……?」
「……は……」
学校の備品にすらここまでの配慮などした事の無いフロイドの口から漏れた疑問に、クルーウェルは思わず呆けた声を上げていた。
「ぎぃい」
明らかに不満というさえずりで、アズールはジェイドが恭しく持つ籠の中に収まってしょぼくれていた。何という虐待でしょう、とさえずりを翻訳した二人は聞いているのだが、あえて聞こえないふりをして歩いていた。
「それにしても、中身はいつも通りのアズールで安心しましたが、こうも小さくなられてしまうと心配ですね」
「ねえ、稚魚と同じくらいじゃん……」
籠の中でモチモチふわふわの身体をぴょんぴょんと動かして忙しない様に、二人はため息をつく。元々小さいこの鳥は、かなり動き回る習性らしい。加えて、アズール自身がまあ忙しない。
「……もしかして、行動が似ているから変化してしまったのでしょうか」
「まあ、その可能性無いとも言えないけど」
ちき、と籠の中でさえずるアズールに、ジェイドははあ、と何度目かのため息をつく。
「これが誰かのユニーク魔法ならいっそ良いのですが」
「ああ、相手ボコボコにしたらすぐ治せるもんねぇ」
「ええ、ですが、薬品による物となると、確かに僕らは何も出来ませんし」
心配です、とジェイドは籠を抱えて呟く。
「……ああ、そうだ。以前使っていたテラリウムの瓶があるんです。それの中でしばらく過ごしてもらいましょう」
「びえッ」
「いや、それはさすがに」
元に戻ったときどうすんだよ、と至極真っ当な意見にジェイドは渋々と、ジェイドの言った言葉に戦き縦に体積が伸びたアズールシマエナガ――あずえながを見下ろしていた。
――しばらくジェイドとアズール一緒にしない方が良いかも……
フロイドは兄弟ながら面倒くさいなーと遠い目になりながら、ジェイドからそろりと籠をとり、アズールの小さな頭を撫でた。
「ま、取り敢えず寝床は準備しねーとなのは確かだよねぇ」
「ぴぎゅるー(上等なのをお願いしますよ)」
羽根を広げてちきちきと鳴くアズールに、ジェイドは僕は? という言葉を言外に含ませた笑みを浮かべてじっと見つめてきた。
「……ぴきぃ」
ぷいっとジェイドから視線を逸らしたあずえながに、フロイドはじろっとジェイドを見つめた。
「……瓶に入れようとしたことかなり根に持ってるみたいだけど」
「そんな! 僕はアズールの安全を考えたのに」
はいはい、と適当に返して、フロイドは籠を手にアズールの部屋に入っていった。
「ぴっぴぴぴー、ぎゅぴいー……、ぴぎぎぎじゅぎゅぴー(全く安静にと言われても、授業もあるしどうしろというのか……)」
机の上にこしらえた、お菓子の空き箱のような白い箱の中に作られた寝床で、あずえながはぴょんぴょんと文句を言いながら飛び跳ねていた。
「あのさあ、あずえなが」
「ぎゅぴぴぴぴ! (勝手に変な名前を付けるな‼)」
猛烈な勢いで白いふわふわはフロイドの手を突き、更にバウンドして顔を近づけていたフロイドに体当たりをしてきた。
「ってー! だってなんか可愛くない?」
「……ぎゅぴい(だからといって妙な名前を付けるな)」
長い尾羽をふりふりと振りながら、アズールはぴょんぴょんと机の上を飛び跳ねる。そこに、ノックの音がして、ジェイドが部屋にガラスの小鉢や何やらを銀のお盆に載せて入ってくる。
「失礼します。アズール。お食事を持ってきました」
「ぎゅー」
ぺたん、と不満そうに鳴きながら、アズールはピヨピヨとそんなにいりませんと翼を振るが、ジェイドはそう言わずに、と切り分けたイチゴやリンゴ、ブドウなどが詰まったガラスボウルをアズールの前に置いた。
「水と、それにメープルシロップなども用意してみました」
「び、ぃ」
カロリー……と自分のもっちりふわふわの身体を見下ろし、ぷるぷると身体を震わせるアズールに、ジェイドはため息をついた。
「アズール、先ほどリドルさんから聞きましたけど、小さな動物は案外カロリーの消耗が激しいのが多いそうです。特に小鳥などは常に飛び回っていることから、食事は取らなければ具合を悪くしますよ」
「へー、そうなんだ。じゃあいっぱい食べよー? 良いじゃん、大きさ的にブドウなんて一個でお腹いっぱいになりそうだし」
「ぷぎゅう」
目の前に少しだけ皮を剥かれたブドウの実を差し出され、アズールは仕方が無いとフロイドの手にある実にちょんちょんと嘴で啄み始めた。
パシャパシャと写真を撮りまくるジェイドの横で、フロイドの持つブドウの実をちまちまとアズールは食べ、満足したのか綺麗に食べ終え、身体を震わせた。
「ああ、じゃあ少し拭きますね」
「ぎゅぴ」
手の上にアズールを載せ、柔らかい布で果汁などをジェイドは拭き取り、思わず頬ずりをする。
「ぎゅぷ」
「あーずりい」
おれも、と顔を寄せてくるフロイドに、アズールは不満、という目を細めた顔をする物の、取り敢えず大人しくしてから、ジェイドに寝床に戻された。
ふわふわのクッションの中に置かれたアズールは、床で寝ることにしたらしい二人の音を聞きながら目を閉じた。
「ぎゅぴぴー! (何故だー⁉)」
アズールは見事なバウンドをしながら机の上で叫んだ。
「三日経ちますが、中々もどりませんね」
アズールに果物を差し出しながらジェイドは困りましたねえと、さして困ってない顔で答える。困っていないどころかやけに元気にもアズールには見えた。
「ぴぴぴ! ぎゅーぴぴぴぴ! (もう安静だなんて言ってられませんよ! ラウンジの売上が横ばいで何かしなければと思っていたときだったのに!)」
机の上をぴょんぴょんと右から左にジャンプしながらアズールはさえずり、その様子をジェイドはそうですね、と相槌を打ちながら寝床を整えていた。
「フロイドと僕で交代で店を回していますが、彼も大分参ってるようですし」
「ぎゅー……(そうですか)」
アズールのからだが白パンのように潰れ、考え込むように頸を傾げる。ジェイドはアズールを両手で包んで撫でながら、
「僕はどちらでも構わないのですが。この姿はそれはそれで便利ですし」
「ぴぴぴー? (どこが?)」
「お世話の範囲が広がることですかね」
「ぴえ……」
両手でしっかり包んでくるジェイドに思わず身体が縦に伸びるアズールに、ジェイドは冗談ですよ、とニコニコと答える。
「とはいえ、流石に医務室に行った方が良さそうですね」
「ぎゅぴー」
そうしてください、とアズールがパタパタと羽を羽ばたかせると、ジェイドは籠にアズールを入れて部屋から出た。
「あー、ジェイドじゃん」
部屋から出てすぐのところで、フロイドがくしゃくしゃの頭のままジェイドに声をかける。
「おや、フロイド。起きましたか」
「んー、あれ、アズール?」
「今日も姿がこのままだったので、医務室に行ってみようかと」
「あー確かにねぇ」
オレも行くーとフロイドは目を擦って部屋の中に戻ると、服をさっと着替えて出て来た。
寮から出て医務室に向かう道すがら、フロイドは視線を感じてチラリと目線だけをそちらに向けた。
それは気のせいかとも思えるようなものだったが、こう言うときのフロイドの勘とも言うべき物は大抵当たるものだった。
「……ちょっと行ってくるー」
「ぴぎゅい!」
バサバサと籠の中でアズールが羽ばたき飛び上がり、ジェイドは落ち着いてくださいと慌てて手で籠の上に手を置き蓋をした。
「ぴゅぎー!」
「なんか、一緒にいきたいみたいだねぇ」
籠の中でバタバタと暴れるアズールに、仕方が無いですねとジェイドはため息をついて、医務室とは別の方向へと歩き出した。
「……で。数は」
「四人くらい。まあ気のせいならそれでよし。ちょーっと遊んでやるだけだし……。そうでなければ」
「お話し合いをしなくてはなりませんねぇ」
にたにたと笑う二人の間で、籠の中に収まったアズールは翼をバサバサと広げて機嫌良くさえずった。
彼らは中庭の片隅でお互いに……さながら責任のなすりつけあいをしていた。
「くそ、クルーウェルのやつ! 犯人捜ししてるらしいぞ。どうすんだよ。バレたらそれこそ退学になるかも……」
「元はといえば、面白がってあんなことしたお前が……」
「止めなかっただろ! おまけに、あいつの取り巻きまであちこち嗅ぎ回り始めたんだぞ」
リーチ兄弟に見つかったら……と中庭でぼそぼそと額を付き合わせていると、ピチチチチとどこからか鳴き声がして、彼らは顔を上げ、その視線の先に見覚えのある、目が笑っていないがとてもニコニコしている双子と目が合った。
「ぴーちちちちぎゅぴいぃぃ!」
双子の片方が持っている籠から白い何かが飛び出し、それは一人の目をめがけて飛びかかった。
「ぎゃー! い、いててて! 目! ダイレクトに目を!」
目をくりぬこうとするその弾丸のような白い何かは逃げようとして制服を掴まれ踏まれ、にこやかに佇んでるフロイドから逃れようとばたつく。
「おら、大人しくしとけ」
ついでに蹴飛ばされ、生徒達は悲鳴を上げる。
「な、なんだよその魔法具は!」
「おや、気付かなかったんですか? こちらはアズールですよ?」
「ぴーきゅきゅきゅ」
空を飛んで華麗に相手に攻撃をしたと、胸を張ってフロイドの頭の上に乗っかり、アズールは白い身体をもこもこと膨らませ、可愛らしいはずの姿で生徒達を睥睨した。全く中身は変わっていない。
「アズールぅ、あんまり胸反ると落ちるよぉ?」
頭の上に手を伸ばし、まさに後ろにひっくり返るところだったアズールを手の中に滑り込ませ、フロイドは先ほどの生徒達に向けた声や目付きからは想像出来ないほど、柔らかい表情と手つきでジェイドの持つ籠の中に収めた。
「ぴぃ」
「満足しましたかアズール」
籠の中で目を細めたアズールに、ジェイドはにこやかに微笑み、フロイドが踏みつけている生徒達を見下ろした。
「クルーウェル先生が随分お怒りでしたねえ。このまま突き出すのも良いかもしれないですね」
「……ひえ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、ほんの出来心で……」
「本当に……反省して……」
四人は後ろで指を鳴らすフロイドに怯えながら、ジェイドの足下に縋り付いた。
「そう言われましても。僕はオクタヴィネルの副寮長として、先生にきちんと報告する義務がありますし」
「……ぴぃー! ぎゅぴぴぴぴー、ぴぴ(まあ、待ちなさいジェイド)」
籠の中でアズールが飛び跳ね、ジェイドの言葉に翼をばたつかせた。
「ぴーぴぴぴー! ぴぴぴ(今回彼らは初犯でしょう。僕としても中々面白い体験でしたし……。海の魔女の精神に基づけば、彼らに慈悲を与えるべきかもしれません)」
「ああ、なるほど。ではアズール。どのように?」
「ぴぴぴぴー、ぎゅりりりり、ぴー(あなた方は選べます。僕達に対価を差しだし、見逃してもらう。あるいは、処罰を受けるか)」
「へえ、さっすがアズール。こんな奴らにも慈悲深いねぇ」
「ええ、本当に。勿論、皆さんその慈悲深さに感謝して」
「対価、出すよねぇ?」
「ぴぎゅー……」
白く愛らしい小鳥は、睥睨するように生徒達を籠の中から見下ろし、彼らには気のせいか恐ろしい生き物にすら見えて来たような気がしてきていた。
「はあ、全く。災難でしたねぇ」
長い足を伸ばし、ベッドに転がったアズールは、呟いて両手を見下ろした。人魚の頃とは色は違うが、いつもの自分の手である。実習で使う材料に面白半分で鳥の羽を混ぜ込んだ生徒達から弱みと諸々を巻き上げたその足で、医務室でしばらく様子を見ていた所丁度身体が戻っていき、ようやっと検査から戻れたのは夜になってからだった。
陸の身体になって大変とは思っていたが、なんだかんだとこの身体に戻ってほっとしている自分に、アズールは慣れというのは早いなと考える。
「アズールー」
「お茶をお持ちしましたよ。お疲れ様でした」
部屋にやってきたフロイドとジェイドに、アズールはベッドに寝転がったまま顔を向けた。
「結局なんであんな鳥になったのかはわからないままだねぇ」
「ええ、まあ僕達は魔法薬を元々服用しているから仕方が無いですが」
お茶を渡され、アズールは味を堪能しながら、ため息をついた。
「はあ、半年分の果物を食べた気分です」
「あは、でも身体より大きい果物食べてたアズール可愛かったー」
「愛らしかったですよ。果物ならもっと食べても良いのでは?」
「……果糖はバカに出来ないんだ!」
アズールはそう言ってカップを置いて
「はあ、せっかく飛べる感覚を掴んだと思ったのに、飛行術の練習を試しにしたら全く! 変化が無いんですよ……! おかしいですよ」
「おや、残念ですねぇ」
「箒で飛ぶのと翼だと違うんだねぇ」
パリパリと自分で持ってきたスナックを食べながら、フロイドとジェイドは適当に答えて機嫌良くアズールを眺めていた。
フロイドはアズールの寝転がっているベッドに滑り込むと、陸の身体の彼に腕を回す。
「やっぱこっちが良いなー。まあ一番は元のタコちゃんだけど」
「そうですね。僕もそう思います」
いつの間にか同じようにアズールのベッドに滑り込んできたジェイドは一言多くもなく、アズールはなんなんだと思わず顔をしかめた。
「勝手に人のベッドに入るな」
「いいじゃんー。ちっちゃいのと違って潰れたりしないから安心だし」
「そうですよ細かいことを気にしてはいけませんよ」
そう言う話か? と思いつつ、アズールは元の身体だからこその、いつもの二人を見つめて、今日はこれ以上は良いかと目を閉じた。
「もう寝ますよ」
返事が聞こえて気がしたが、アズールは気にしないことにしてそのままふうっと眠りに落ちた。
終