そして空は赤く 1 - 2/2

神父

ジェイドがその道に進むことを決めたのは、何か理由があったというわけでは無い。
強いていうならば、そうした方がまだマシ、という程度の物である。
マシというのは、自分の本性を鑑みた結果だ。
「神父さま。こちらどこに置いておきますか」
扉を開けて声をかけてきたのは熱心な老人で、畑仕事なども手伝ってくれる信心深い老人だった。
「ああ、ありがとうございます。では、すぐ脇の方においてください。あとで移動させますので」
「そうですか、なら置いときますね」
食料の入った箱を並べ、老人は腰を叩きながら、ジェイドに頭を下げた。
「いつもすみません」
「いやいや、お気になさらず」
老人は人の良さそうな笑みを浮かべて帽子を上に上げてから被り直した。
「ところで、神父様はご存じですかね」
「何をでしょうか」
目付きが険しくなり、老人は苦々しげに教会の窓から見える、この町唯一の目抜き通りに視線を向けた。
「最近来たっていう怪しい男ですよ」
「最近来たって……」
ジェイドはすぐに顔を思い出し、ああ、と呟いた。
「確かセールスマンだという方でしたか。うちにも来てお祈りと寄付をしていきましたよ」
「ふん、あんなのパフォーマンスに決まってますよ」
「何か、気になる点でもあったのでしょうか」
ジェイドが覚えているのは、わずかに含みはありそうなものの、身分もはっきりした普通の男、という印象だった。あえて言うならこの辺りではあまり見ないような洒落た清潔感のある青年、という所だろうか。
空色の目は随分と活力に満ちていて、切れ長で涼やかな目、それに自信に溢れて微笑んだ口元にはほくろがあり、ジェイドは視線がなんとなくその口元に向かう自分に気付いて面白がったものだった。
「まあ、最近怖い犯罪なども多いですが、彼はそう言う類いは無いと思いますよ」
「神父様はお優しいからそう言いますけどねえ、ああいうのは絶対何か企んでるというもんですよ」
「まあ、企みというか、仕事には来ているでしょうが……。もし本当におかしいと想うのでしたら警察に相談する方が良いでしょうね」
「いや、しかしそりゃあ」
老人は警察と言われるとわずかに勢いが収まり、もごもごと呟いてから、頭を下げて外に出ていく。
見送りをしながら、ジェイドは冷たく凍っていく感情のまま扉を閉めて礼拝堂の奥にある十字架に目を向けた。
敬虔な信者でいつも町の人々には善良。社会規範を守っていい人であろうとする人間が、特に問題の無い何処ともしれない者を排除しようとする。一人の人間の中に矛盾無く存在出来る事である。
ジェイドは置かれていた聖書をパラパラとめくって、興味を無くして手を離す。
神学を学んでこうして聖職者になったというのに、ジェイドの身のうちには信仰心というものがこれっぽちも芽生えることは無かった。学んで、人がいずれ良くなると思い込んで接してみたものの、常にそれは上手く行かないもので、介入し誘導してみたところで結局どうにもならずに終わるのだ。
葬儀で故人のために祈り、見送る間もその心は冷ややかで、ジェイドは可愛そうにと他人事のように見送りを済ませた遺族達の帰る背中を眺めていた。
死んだ人間と肉体関係にあった者、知らずに良い夫、父、あるいは母親だと思っていた家族。大体一週間もすると告解室であの誰かの懺悔を聞く羽目になるのだ。
――ああ、なんてつまらない……
視界が暗くなるような感覚を覚え、ジェイドは長椅子に座る。学生の頃もだったが、兄弟と馬鹿な事をしていた時は楽しかった。しかしそれが、あまり宜しくないものであることも理解はしていた。
一人になったとき、自分が何をしてしまうかを考えると、カビが生えそうになるこの閉塞感を受け入れるべきなのだ。いっそ腹の立つほど自分すらも突き放すジェイドの思考は、自分の事も良く分かっていた。
海で溺れたような心地だ。

表のドアが開く音がして、ジェイドは思考を断ち切り顔を上げた。億劫だが笑みを作ってから振り返ると、予想していなかった人物と目が合い、作った表情が崩れて視線がさまよった。
「ああ、これはどうも。あー……」
「アーシェングロット、です。こんにちは神父様。お祈りですか。精が出ますね」
名前は覚えている。ただ喉から出てこなかっただけだ。ジェイドはそうでしたね、とどうにか取り繕って立ち上がった。
自分の身体よりも小さい――それを言えば、大体の人間は小さい事になるのだが――青年は、相変わらず快活そうな青い目をジェイドに向け、営業用の笑みを浮かべた。
「アズールさん、まだ村に来ていたんですね」
「ええ。なんだかんだまだ追い出されないようですからね」
「……村の人が、何か……」
「いえいえ、別に何もありませんよ。ただ、こう言う場所ではどうしてもよそ者への態度は難しいですから。慣れています」
さらりとそう言って流したものの、ジェイドは声の抑揚が冷ややかになった気がして男を見た。
村と言って差し支えない所に、ふらりとやってきたセールスマン、だという男だ。
あの老人が胡散臭いと言っていた通り、確かにこんな辺鄙な場所に来るような男には見えない。
色素の薄い髪は緩いくせ毛で、一見爽やかそうに見える青い目を長いまつげが縁取っている。どこか儚げにも見えるといえば見えるが、口を開けばかなり快活にセールストークをしてくる。
アズール・アーシェングロットが来てから、村はどこかそわそわとした雰囲気になっている気がしていた。ジェイドも正直、何故かは分からないが、彼と会うと妙に心がざわつくような気がしていた。
「散歩をしていたのですが、ちょっと休憩もかねて立ち寄ったんです。神父様は随分顔色が悪く見えましたが大丈夫ですか」
アズールの言葉にジェイドはええ、勿論、と頷いてから、アズールに椅子を勧めて向かいの長椅子に腰掛けた。
「体調不良とは無縁でしたので、きっとアーシェングロットさんの見間違いか……ここは暗いですから、それのせいでしょうね」
「確かに、随分古い照明器具ではあるようですが……」
アズールは眉を寄せてジェイドを見つめ、肩をすくめた。
「まあ、僕の勘違いなら良いですが。都会の医者に伝手もありますし、ここで治療をするのはちょっと、という事なら紹介もしますよ」
「ふふ、ありがとうございます。お優しいですね」
「親切にしていれば信用も得られますから」
にべもない言い方だが、ジェイドにはこの男は比較的はっきりとした事を言うようだ。以前ここにいた村の老婆と会話していたときは、セールストークを親切な言動で随分包んでいたというのに。
「僕には随分はっきりと言いますよね。アーシェングロットさんは」
「アズールでいいですよ。ええ、まあ。だって神父様には無駄でしょう?」
にや、とまるで仮面を外したように人を食ったような笑みへとアズールの表情が変化し、ジェイドは思わず足を組み直した。ひどく喉が渇いたような気分で、かすれた声で「無駄とは?」と分かっていながら呟いた。
「神父様は色々と人間という物をご存じのようでしたので。実は僕、人のお願い事を叶える、という稼業もしておりまして。人の願いというのは、相手の本性が見える物です。罪の告白とも似ている、かもしれない」
「……ああ、なるほど」
神への真摯な祈りをする人間はそう多くない。大抵は自分の都合の良いことを願う事を祈りと言っていると言っても良いかもしれない。それでもそれは信仰だろう。
自分とてあまり変わらない、とジェイドは考えながら、アズールの方へと視線を向けた。
「罪を告白し、神に救われたいのはある意味願いではあるかもしれませんね」
「僕はその辺りは門外漢なので言及は避けます。そういう訳なので、神父様は人間の事をご存じのようだから、まああえて隠す必要も無いだろうと思いまして」
「そういう事ですか。ですが、この狭い村の中しか知りませんし、大したものでも無いと思います」
「村という場所ほど怖い物は無いですよ。それに、人間の本質を見るのに数は関係無いですよ」
アズールはそう言って、ちらりと奥にある十字架に目を向けた。
「願いを叶えるという事ですが、この辺りでそんな事を言う人なんていましたか」
思わず問いかけたジェイドに、アズールは祭壇から目を離して微笑んだ。
「ええ、ぼちぼち、ですよ。ご心配なさらずとも、誰かを呪い殺して欲しいなんてのは無いですよ」
「そんなものが」
「偶にあるんですよ。勘違いしてるみたいで。まるで僕を魔女か何かのように。困った物です」
「魔女……」
ジェイドはその言葉が何故かストンと腑に落ちたような気がしていた。目の前の男は女に見間違えるようなものでは全く無いのだが、それは何故か目の前の人物を形容するのに合っているようだった。
「ああ神父様、一応言っておきますけど本当に違いますからね? 火あぶりなんてされたくないです」
慌てた様子でアズールは手を振り、ジェイドに言い足した。その様子は計算したいつものセールストークとは違い、どこかあたふたとした風で、恐らく素の部分なのだろう。
「このご時世にそんな事あるわけ無いじゃないですか」
そう言いながらも、ジェイドは薄ぼんやりとした不安を覚え、すぐにそれを押しやった。
「ああ、すみませんね。時間を取らせてしまって」
ふと時計に目を向けたアズールは立ち上がり、暇乞いを告げて歩き出した。
「いえ、お気になさらず。教会はいつでも受け入れる場所ですから」
微笑んだジェイドに、アズールはそれはどうも、と軽く会釈をして外へと出て行った。
時間で考えれば三十分もいなかっただろう。
静かになった礼拝堂の中、ジェイドは再びゆっくりと腰を下ろし、深々と息を吸い、吐いた。
香油とは違う、わずかに爽やかな甘さを感じる香りがして、ジェイドはそれがアズールの付けていた香水の匂いだと思い当たり、扉の方に目をやった。
馬鹿げているというのに、何故かジェイドは名残惜しさのような物を感じていた。

商人

アズールがこの村に来たのは単に通り道だったから、という程度のことだった。
願いを叶える商人と神父には説明したが、実際にはそれはまだ副業というようなやつで、いずれは本腰を入れたいが今はまだ資金集めのためにこうして地道な仕事で金を稼いでいるというわけだ。とはいえ、仕事がありそうなら勿論隙間時間にでもやるつもりではいたが。
今回やってきた地域は、今後開発計画が出ている場所で、調査もかねて回ってみることにしたのだ。集落がいくつもポツポツと並び、合間に森が広がる場所で、タイムスリップしたような風情である。
特にこの村はその中ではそれなりに大きい方だった。最初は村の雑貨屋などに顔を出してみたりしていつものように営業活動などもしてみたが、古いだけあってかなり骨が折れそうだと、アズールは感じていた。
何度か訪れて顔を覚えてもらって……、面倒がる者も多いが、確実な手を使うのが大事なことをアズールは知っていた。
泊まっている宿へ戻ったアズールは、部屋に入ろうとしてドアの足下に差し込まれている手紙に気付いた。
思わず手に取って廊下に視線を向け、部屋に入った。
慎重に封を開けて中身を読み、アズールは眉をひそめてしばらくベッドの端に座って考え込んでいた。

「お願いを聞いて欲しいんです」

年の頃は十代後半という程度だろうか。ベッドに横たわって眠っている様子を見ながら、母親が目元をハンカチで拭いながら、アズールを見つめていた。
「僕で出来る事ですか」
ドアの側に立って、アズールは問いかける。いきなり面倒そうなものに行き当たったな、と顎に手をあて慎重に考えた。眠っている少女は具合が悪そうで、自分は医者ではない。それこそ妙な民間医療をやれと言われたらどうやって上手く逃げるか考えなければならない。
「もう他にどうすれば良いか分からなくて。いろいろ試したのですけどこの子の様子がちっとも良くならないんです」
「なるほど」
アズールは、少女の父親はどうしたのだろうとドアの外に耳をそばだてた。安息日ではないが、家に入る前に見た駐車スペースらしき場所には車があり、家の中には三つセットの食器などもチラリと見えた。
父親が無関心で、母親が思い詰めている、という所なのだろうか。
――それにしても何か引っかかる
「娘さんはいつから具合が悪くなったんでしょうか」
「もう随分前からです。勿論お医者様にも見せましたし、色々と食事やら何やら……試したのですけど」
「なるほど。大学病院で見て貰った結果などは?」
わずかに母親の表情が強ばり、
「あんな所、検査入院と称して子供を引き離そうとしてるんですよ」
「確かに時間がかかると入院を勧めてきますね。遠い場所にあると子供も不安ですから付き添いも大変だ」
アズールはこれは上手く言って断るのが最善だろうと思い始め、ドアの方に一歩近づいた。
「病気を治したいというお願いは分かりますが、僕はあいにくそう言ったものは」
「いいえ、願いはこの子の悪魔を祓って欲しいんです」
「……なる、ほど」
どうしてそうなる、と思わずアズールは内心頭を抱えながら、それでもどうにか厳かに頷いた。印象は大事である。
「それなら、それこそ神父様にお願いするのが良いのでは? 彼自身でなくても、問い合わせはしてくれるはずでしょう」
「ええ、まあ、その」
そうなんですけど、と母親は視線を逸らし、アズールはああ、と眉をひそめた。
「神父様には言い辛い、とかでしょうか」
「……あの方は」
ばたばたと部家の外で音がして、母親の顔がわずかに引きつり、ぱっとドアに近づいて廊下へと出て行った。彼女の夫だろう声が聞こえてきて、誰か来ているのかと声がする。
「……」
そっとアズールは眠っている少女に近づいて、様子を窺うと、ぱっと少女の目が開いた。
ぱちぱち、と一定の動きをして、そのままじっとアズールを見つめ、目を閉じる。母親の足音がして、アズールはそっとその場から離れると、廊下で困惑したように立っている父親に頭を下げた。
「あ、あんたあの……最近うろついてる」
「はい。声をかけられましたのでカタログをお渡ししていました。宜しければ気になる物があれば。エンジンオイルなどもありますよ」
朗らかに答えたアズールに、父親は少し躊躇ってから、それなら、と玄関の扉を開けてアズールを呼んだ。
「車の調子が良くないんですね。この辺りでは大変でしょう」
「……まあそうなんだけど、本当にそれだけか?」
父親はじっとアズールに目を向け、車のボンネットを開けて整備をしながら、ちらりと奥の部屋の窓へと目を向けた。
「娘さんの病気については少しお伺いしました。私は医療については素人ですし、扱っている商品はサプリですから、あまりお力にははなれないとは答えたのですが」
「あの子は悪魔が憑いている、と言ってな。まるで聞かないんだ」
弱り果てた、という顔の男に、アズールはこれは、と気付いてなるほど、と頷いた。
「旦那様は悪魔を信じていない、んですね」
「信じるというか……。娘に悪魔が取り憑いているというのは……違うんじゃ無いかと。どう言えば良いのか分からないが、怪奇現象だとか、そういうのも無くただゆっくりと身体が弱っていくなんて悪魔憑きがあるのかと」
「確かに、映画は誇張表現だとしても全体的に共通する現象はあるそうですね。お嬢さんにはそういう事は無かったのですね」
「ない。十二くらいだったかに、具合を悪くして寝込んだ事があったんだが……。その時は一週間だったか。とにかく元気になってまた学校に行けるようになったんだ。ほっとしていたんだ。なのに、その後半年も経たないうちに寝込むことが増えて。あんなことに」
「医者には診せたとのことですが」
「ああ、だが紹介状をもらってもアニー……妻は嫌がって。車でオレが送迎するって言っても譲らなかった。それに、なんでか車はこの調子だし」
ボンネットを閉じて、肩をすくめ彼はアズールに目を向けた。
「どうでしょう。悪魔が憑いていると仰っている以上、恐らく奥様は明確にそれが違うと思わないと次に進めない気がします」
「しかし……」
「神父様に聞けば良いのでは? 違うとしても、教会ですから無下にはしないでしょうし。というか、ご相談されたことはあったのですか?」
「……いや、妻が、嫌がって。あの、彼女はよその地区から来ていてね。宗派が違うと言うことは無い筈なんだが……。日曜日には教会に行くのだけど」
「旦那様から見て、神父様はどうです?」
「別に。親切な方だ。話も良く聞いてくださるし。オレは何度か子どもの事を相談したことがあるんだ。やはりまずは医者に診せてみるのが良いだろうと。その上で、教会としても祓い師を呼ぶのは構わないと」
「……なるほど。やはり奥様が何か不安になっている点があるようですね。それが何か、というところですが」
アズールは考えてから、父親の方へと顔を向けた。
「私は出来る依頼には応えるつもりです。勿論無償では無いですが、うちの商品をご購入頂けるのでしたら、あなたの悩ませている問題の解決に協力いたしますよ」
アズールはそう言って手を差しだした。
「旦那様のお名前はなんでしょうか」
「ジョーだ。娘はローラ。しかし、そんな事いいのか」
「ええ、今はこうしてサラリーマンやっていますけど、いずれは独立してこう言う仕事メインで行こうと思っていまして。その実績作りでもあるんです。だからお互いにとっても良い取引だと思いまして」
アズールは、そう言いつつ面倒事になった、と内心考えていた。
かの娘は長く伏せっていたせいかそういうものをあえて覚えたのだろうか。部屋の中にはあまり本も無かったが、机の上に置かれていたノートの隙間からアズールが見たのは、点と線の羅列が書かれたメモで、それが何かは分かったが、なぜそれがあるのかは分からなかった。娘が瞬きで同じようなことするまでは。
瞬きは、短いパターンと長いパターンの二種類で、ありきたりながら確実な手段である。
ぱたぱたぱた、の短い瞬きが3回、次に長いパターンが三回。再度短いパターン三回。
――たすけて、というのはあまり穏やかじゃないですね
ジョーという、善良だが恐らく気の弱い男に別れを告げ、アズールは家の敷地を出た。
近くの牧草地で草を食んでいる羊の鳴き声と、犬の遠吠えがするのどかな村の道を歩きながら、アズールは昔読んだ探偵小説の言葉を思い返していた。
――田舎ほど怖い場所はないよ

アズールが滞在しているのは街道に近い場所にある宿屋だった。一応ホテルという名前が付いているが、観光地でもないせいかこじんまりとした大きさである。
手入れもされていて食事も悪くなければ上等というところで、アズールはハズレを引かなくて良かったとほっとしたものだ。
「アズールさん。お呼びですか」
「ああ、神父様。すみませんお忙しい所」
ホテルのすぐ脇には森が広がっており、一部はホテルの敷地として使っているようだ。ベンチやガゼボが置かれた場所もあり、アズールはそこにジェイドを呼び出していた。
電話が繋がっていて良かったとアズールはほっとして、人気の無いガゼボのベンチにジェイドを案内した。
「村などはどうしても噂が漏れるかもしれないと思いまして。中々こう言うとき難しいですね」
「はあ、何か困ったことでもありましたか?」
ジェイドは不思議そうな顔をしていたが、アズールから話を聞かされると、ああ、と小さく納得したような声を上げた。
「そういう事でしたか。それなら、空いている時間は告解室も使えますからそちらが良いかもしれないですね」
「それは良いのでしょうか」
「まあ人のためですし。しかし、そうですか。……アズールさんが」
「アズールでいいですよ」
「アズールが言っているジョーというのは、ジョー・ベイリー。ベイリー家の三男だそうです。この辺の関係は僕も前の神父から引き継いだので、お年を召した方に聞いた方が良いかもしれないですが……。ジョーは確かに気が弱い所はありますが、いい人です。あまり何か騒動を起こすようなタイプでは無いですし、とても敬虔な信徒です」
「そう言う印象は僕も受けました。貴方に娘のことを相談したとか」
「ええ、覚えています。奥様は少し気難しい人だとかで、礼拝には来られるのですがあまり僕もお話をしたことはないんです。ジョーの方が話をしてくれる感じですね。丁度、半年ほど前だったかに、妻が子供を病院に連れて行こうとすると嫌がる、悪魔が憑いていると言って聞かない、と嘆かれてました。悪魔がどうの、という話なら穏やかじゃ無いですし、他の村の人も不安になるでしょう。なので、司教様へ相談することは出来ると言っていたのですが、あれから音沙汰がないものですから」
「なるほど……。ぼくも母親は気にありました。娘は彼女がいる間眠っていましたが、いなくなったと分かると僕に瞬きで何かを訴えてきていました。声を出すのが出来ない訳でもないとしたら、何か母親に聞かれるとまずいことがあると思うんです」
「母親、アニーが何かしているという事でしょうか」
「さあ、子供が嘘をつく可能性も否定は出来ませんが……」
アズールは、訴えかけてきていた内容を言うべきか悩み、今はまだ良いかとジェイドの方に目をやった。
彼は、じっとアズールを見つめ、目が合った瞬間ゆっくりとガゼボの向こうに視線を向けた。
「ああ、僕が何か適当なことを言っていると思っていますか。神父様」
呼びかけに、ジェイドはゆっくりとアズールに視線を戻し、
「……ジェイドと。どうか」
とぽつりと呟いた。
――目の色がそういえば違うのか
猫のような金と、暗緑の目が、明るいところで見たせいかよりはっきりと分かり、アズールは無礼だろうかと思いながらも視線を逸らさず見返した。
「神父様と呼ばれた方が都合が良いのでは?」
「あなたには名前で呼ばれたいと思うんです。歳が近いからかもしれないのですが。いやでしょうか」
「構いませんが……」
何故、と聞くにも、笑って誤魔化そうにも、ジェイドの目は真剣そのもので、とても適当に流せるような雰囲気では無く、アズールは思わず頷いた。ジェイドは良かった、と思いがけず柔らかな笑みを浮かべて、向かい合った膝をつき合わせるようにアズールの手を取った。
――というか、近くないか
元々ガゼボ自体がそう大きくは無かったが、置かれたベンチの配置も適当なせいかかなり膝を詰め合うような状態ではあった。それが、今はいつの間にかかなりジェイドが寄ってきている。
「そ、それではジェイド。子供の方ですが、あれは早めに対処しないと本当に手遅れになりそうに見えました。大分顔色も悪かったですし。何か手を考えて病院に一旦搬送しないとと思うのですが」
するりとジェイドの手から手を抜き取り、アズールは話を続けることにした。妙な緊張感が漂っているような気がして、思わず首元のネクタイを緩める。
「母親から引き離すのが一番手っ取り早いですね」
「……ご、豪腕だな……」
「そうですか? 実は何度か彼女のことで村の女達が相談に来ていたんです。偶に夫以外の男とこの宿で会っているのを見たとか、数人の集団と一緒に居たとか」
「……それは相談、なのでしょうか」
眉一つ動かす事の無いジェイドにわずかにアズールは呟く。場合によっては他人への誹りにすら聞こえるものだ。聞いて気持ちの良い物でも無い。しかしジェイドは首を傾げて大して気にも留めてない様子で
「どうでしょう。皆さん基本的には良かれと思って色々と教えてくださいますから。僕はそれをそうですかと流していただけなんですけど。まあ、今となっては丁度良いですが。実は、ジョーは車が壊れてしまったせいで歩きとバスで一時間以上かけて職場の食品加工工場に行ってるみたいで、あまり状況をよくわかっていないと思います。可愛そうですよね」
とってつけたような最後のコメントに、アズールは少し黙りこみ、やがてため息をついた。
「田舎、やはり怖いですね」
眉をひそめるアズールに、そういう所ですから、とジェイドは軽く流し
「そういう訳なので、アニーが家にいないタイミングで少し娘と話をしてみるか、彼女の事を調べるのはありだと思います。娘のローラは僕にもよく話をしてくる子でしたから、会話をしてくれると思います。あなたにアクションを起こしたということは、何かしら事態が動く可能性がありますね」
「早めに動いた方が良いと言う事ですか」
「ええ、そうだと思います。ジョーに休みを取れるか聞いてみて貰えますか。僕が行くともしかしたらアニーに気付かれるかもしれません」
「ええ、そういう事なら分かりました。車のことで話をしている経緯もありますからそこまでおかしくは思われないはずです」
「お願いします。それと、今後は告解室へご相談に来てください。あの場所なら聞かれることも無いはずです。待っていますから」
立ち上がってガゼボから出たアズールは、ジェイドに軽く手を振り、急ぎ足で森から出てホテルの方に駆け戻った。気のせいか、ジェイドが待っていると言ったあと、立ち去る自分の耳には「いつでも」と続けていたような気がした。
じわじわと、アズールはもしかして面倒な事になっていないだろうか、とそんな考えが浮かび始めていた。

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この時点のジェイドはまだちゃんと自分の感情に気付いていないので多分全部無意識。
アズはなんか変だなと思っているけどまだ分かってない。ちょっと時々背筋そわっとなるくらい。
村は碌な事にならないのは確定している。